My life as a cat
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2018年06月19日(火) その無理、誰のため?

"無理をする"時は誰のためにするのかとまず考えるべきだ、と思う。自分のためでないならばやめたほうがいい。誰かのためと言って自己犠牲の精神だけで続けていることは大して有難いと思われていない。人は人付きあいが、とか、友達だから、とかいうけど、人や友達は自分を苦しくさせるために存在しているわけではない。もしそうであればそんな人達のために自己犠牲を払う価値はあるのか、と考えたほうがいい。無理をしてでも人間関係を良好に保ちたいという人は、結局孤立したくないというだけで、一見自己犠牲に見える物事は彼ら自身のために行われていることである。

ひとりでニースへ買い物に出た。ちらほらと植えられたジャカランダが花を咲かせていた。西オーストラリア、パースでは11月の終わりごろ通り一面に花開いて、それが散る頃にクリスマスと本当の夏がやってくる。オゾン層の破壊された泣きたくなるような一点の曇りのない青いだけの空と薄紫のジャカランダ。痛いほどキレの良い空気感と共に今でも強烈に記憶に刻まれている。あまり好きでなかったこの街も、幾度となく歩き回るうちに、裏通りの素敵なお店や落ち着くカフェ、少しずつ好きなものが増えてきた。いつかこの街のこともどこかで皮膚に刻まれた記憶として蘇るのだろうか。


Michelina |MAIL