My life as a cat
My life as a cat
DiaryINDEXpastwill


2018年04月26日(木) 意識の格差

暖かい春の午後。カフェのテラスに席をとって友人とおしゃべり。彼女が離婚を決めるまでの話を聞く。ビジネスをしているがお金を生み出せない旦那さんは生活保護を受けていてる。山奥に住んでいるせいで彼女が仕事を見つけることは難しい。彼女は当面生活保護受給資格がないので旦那さんの生活保護費と彼女の両親のお金で暮らしている。経済的な問題が根底にあり、口論が増えて・・・。

しかし彼女達がどんなに″経済的困難″かという話を聞いてため息が出た。だってその状態がわたしとリュカよりよほど贅沢なのだ。広大な面積を誇る家に住み、車を数台所有し、食料は全てBIOで購入し、季節ごとに旅行へ出かけたりしている。あまり服が買えないとかレストランに行けないというのは経済的困難といえるのだろうか。

一方リュカは週5日みっちりと朝から晩まで働き、ぐったりと帰宅する。ちゃんと稼いでいるものの、結局後で巨額な税金を請求されるので手元には思ったほど残らない。彼が同職に就く隣人のナタリアからのチェックを手にしているのを目にした。聞けば彼女にお金を貸していて少しずつ返してくれているのだという。ナタリアにお金を?

「うん。税金の計算間違えて使っちゃった後に巨額な請求がきて払えなくなったっていうから貸したの」

フリーランスで働く人々はこういうことは日常茶飯事らしい。

ナタリアは日曜日は家事に追われる。掃除と洗濯をし、一週間分の食事を作り、小分けにして冷凍保存する。実質土曜日だけが自由になる休日だ。働きものの善良な市民が借金して税金を納めているなんて、何かが間違っているのではないか、と気が落ち着かなくなる。

生活保護を受けている人々は電車でどこまでいっても3ユーロ以内くらいで済む。一方わたしとリュカは電車代も予算に含めて旅の計画を立てなければならない。

生活保護を受けている人々は″仕事がない″と言う。フランスの失業率は9.2パーセントだからだいたい10人に1人の割合で無職ということになる。しかし半年暮らして気付いたことは本当に仕事がないわけではない、ということ。選ばなければいくらでも仕事はある。トイレ掃除、レストランのキッチン・ハンド、家畜の屠殺なんかはいつでも人手不足。募集してなくても足りてない職業は沢山ある。配管工なんかは呼んでもなかなかこない。しかしフランス人は手が汚れるような仕事をするくらいなら生活保護を受けたほうが得だ、と考える。不足している配管工のビジネスでも始めようか、とも考えない。なぜならビジネスを興す人々が儲からない仕組みになっているからだ。わたしが移住したばかりの時、近所でB & Bを経営していたイギリス人夫婦は、

「働けば働くほど税金をもぎ取られるだけ、みたいに感じる。この国でこの先暮らし向きが良くなるという希望が持てない」

と嘆いて、去っていってしまった。これが事実かどうかではなく人々の中で″感じる″という感覚はとても重要なところだろう。一生懸命働く人々が希望を持てない国のシステムとは如何なるものなのか。手厚い社会保障や医療保障を誇るこの国だが、それはこういう人々の嘆きの上に築かれているのかもしれない。医療保障の手厚さは病人を増やす、とも感じる。鶏が先が卵が先かのような話だが、仕事がないからアル中になるのか、アル中だから仕事がないのか、日がなパブで酒を飲んで煙草をふかすような人々に会うのは難しくない。そのうち体を壊して医者にかかる。生活費も医療費も国が賄ってくれる。沢山薬をもらって家にストックする。家にミニ・ファーマシーを築いている人は珍しくない。人々は薬漬け、とは言い過ぎだろうか。しかし、こんな状態だからこそ、リュカは仕事が山とある。病人がいなくなったらリュカは失業するのだろう。

わたしが働いていた時、当然のことながら毎月国民健康保険料を支払っていた。自分は病院や薬とは無縁だったから″本当に必要としている人(不自由に生まれた人や不運な事故に見舞われてしまった人など)にこのお金は使ってほしい″と願いながら。煙草をふかして冬の寒い夜にはしご酒して毎年インフルエンザに罹るアホな上司などではなく・・・(本人が聞いたら″オレだってお金を納めてる!″と言うだろうが)。

「暮らし向きがどうであれ、僕はいつも働いていたいよ」

とリュカは言う。日々わたしが目にするのは貧富の格差ではなく″意識の格差″だ。

わたしはまだまだこの国のメンタリティを全く理解できていない。


Michelina |MAIL