My life as a cat
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2017年12月11日(月) Pain d'épices

昨日から雨が降り続けていた。この辺りの人は寒さには強くても雨には弱い。ちょっと待てば晴れるのにわざわざ雨の中外に出なくたっていい。通りに人影がなくなる。客が来ないから、とお店はさっさと閉店する。リュカも仕事をさっさと切り上げて帰宅した。アンビリーバボー!日本人感覚ではこんな雨ごときで、と思う。イギリス人も賛成してくれるだろう。

午後のアトリエ・ガストロノミック。こちらは今年最後ということもあるのか、雨の中みんなちゃんと出席。今日はパン・デピス作り。通例のごとくどこかから持ってきた適当なレシピで、バターは入れるし、スパイスは入ってないしでいったいパン・デピスと呼べるのか。しかし、みんなが持ち寄った自家製の酒に漬けたドライ・フルーツからは芳香ただよっていて、これが美味しくないわけがない。いつも全部食べちゃうんじゃないかってくらい味見(goûter)ばかりしているマダム・グテ(この愛称はわたしが勝手につけた)は今日も熱狂的に酒漬けのドライ・フルーツをつまみ、指を舐めまわしていた。この舐めまわした指を洗うのを忘れて生地を捏ねたりすることを予知してはらはらしながら横目で見ていたら、マダム・シャンテ(元ダンサーで歌ったり踊ったりするのが大好きで料理しながらよく歌ってる。日本で覚えたという歌を完璧な日本語の発音で歌うのには驚きだった)がビシッと言い放った。

「まさか、その指洗わずに他の食べ物触らないわよね!」

マダム・グテはペロリと舌を出してちゃんと手を洗う。しかしこの後見てしまった。またいつもの癖で味見して舐めた指で生地に触るのを。焼いてしまうから大丈夫だけど、いい気はしない。さっさと生地を型に流し込んだらマダム・シャンパーニュ(いつもシャンパーニュを持参してくる)がシャンパーニュを開け、先生が焼いてきたケーキを切り分ける。そしてここからが本題。おしゃべりの時間。しばらくするとぷつんと電気が落ちた。停電。ひえっ、と一瞬静まり返ったものの、1秒後マダム達は暗闇で何もなかったようにおしゃべりを続けたのだった。30分経っても電気は戻らず、結局暗闇で「良いクリスマスを。また来年」という挨拶を交わして解散となった。

料理よりもおしゃべりに割く時間のほうが長いというゆるいアトリエで、料理の腕が上がるとかいうのは期待できないのだが、細かなところに文化の違いを見たりするのが面白かった。例えばこれはフランスだけではないがやっぱりあまりまな板を使う文化がない。東南アジアなんかでは野菜をそぐように切ってダイレクトに火にかかった鍋などに突っ込むのを見るが、彼らも切れの鈍いナイフで手のひらに食べ物を乗せて切ったりしていた。日本ほどまな板が料理に欠かせない道具となっている国はないのではないかと思わずにいられない。わたしはナイフ一本で何でも刻み、ウィスク一本で何でもかき混ぜたり泡立てたりしてしまうが、彼らは一挙一動違う道具や機械を出してくる。

マダム・シャンパーニュの家は目と鼻の先で、通りでたまたま会ってアペリティフに誘ってもらったことがあった。アンティークのプレートなどが飾られたサロンを通り、キッチンでキャビネットを開けると沢山の酒があった。どれにする?と聞かれたが、知らない酒ばかり。唯一知っていたリモンチェッロを指さした。アペリティフに30℃もあるリモンチェッロを飲むなんてどうかしてる、と思ったかもしれないが、快く注いでくれた。いつも″わたしの夫はシェフで・・・″とかなんとか現在形で話していたので、てっきり毎日美味しいものを食べてるんだろうなぁ、などと思っていたのだが、ここで初めて全ての話は過去形で彼はすでに他界していると知った。

「わたしは料理など一切できないのよ」

あぁ、だからアトリエに通ってるのか、と合点がいく。朝はアトリエで焼いたケーキなんかを食べて、ランチはいつもレストラン。夜は果物だけで済ませるとのこと。料理ができないというのは謙遜ではない。一度アトリエでニョッキを作った時はうまく溝がつけられずに彼女が投げ出したのをわたしと先生で仕上げたということがあった。

「でもみんなで作るから楽しい」

確かに。

棚に飾ってあったイタリア人の旦那さんの写真を愛おしそうに手に取って見せてくれた。日々の愛情こもった美味しい手料理とそれを作ってくれた人を失う悲しみってどんなだろう。リモンチェッロの回った頭で想像してつい泣きそうになった。

来年は何を作るのか。わたしもはやくフランス語を覚えて″おしゃべり″に参加したいものだ。


Michelina |MAIL