DiaryINDEX|
past|
will
2017年11月09日(木) |
マダム・ドミンゴのクレープ |
「リュカってどんな人?」
と母に聞かれたことがあった。良いところを羅列して、最後にひとつおまけで短所を付けておいた。
「ちょっとのろいところがあってたまにイラっとするけど」
わたしはせっかちで待つのが嫌いだ。リュカの家事の様子を初めて見た時は面食らった。皿を1枚スポンジで磨き、隅々まで水で流す。そして次の皿・・・。小さなリビングの床を掃く。ソファをどかして、棚の裏、テレビの裏、冷蔵庫の下・・・1時間かかる。棚は乾いた布で拭く。一点の曇りもないようにキュッキュッ・・・1時間。週末ごとに大晦日のごとく掃除する。こんなに時間をかけるので洗いあがった皿も部屋もピッカピカだ。物事を完璧にやらないと気が済まないので、何事にも非常に時間がかかり、沢山のことがこなせない、と本人が言っていた。
先日の休日の朝、突然テーブルの上に患者のカルテのような物をどっさり置くと、
「今日は絶対これを終わらせる」
と宣言し無我夢中で記入しはじめた。あまりにものめりこんでいてとても話しかけられる雰囲気ではなかったので何も聞かずに遠くで読書していた。内心、やっぱりちょっとのろいから勤務時間内で仕事を片付けられないのではないか、冷ややかに思っていた。ランチを作って恐る恐る話しかけると、やっとこちらの世界に帰還した、という様子だった。一体何をやっているのか、聞いて自分の発言を深く後悔することになった。
「患者さんの前で記入することもできるけど、なるべく長く話してケアに時間をかけたいと思うとどうしてもこういうのが後回しになってたまっていっちゃうの」
病院といったら毎初夏に仕込むアンチョビのごとく、ぽんぽんっと捌かれて待合室に積み上げられるみたいなのしか知らなかった。人数をさばかなければならないという事情があり、意図してそうなるわけではないのだろうけど、1秒足りとも無駄な時間を使いたくないといった雰囲気が居心地悪くさせる。彼が庭の木になった果物で作ったコンフィチュールだの、庭の鶏の卵だの(そしてこういうものは非常にありがたい)たびたび患者さんからのおすそわけを携えて帰宅する理由がよくわかった。"のろい"なんてひとことで決めつけたことを反省した。
午後も作業は続き、外が暗くなってもまだ朝と同じ姿勢のままだった。静かに、それでも力強く熱中して何かを書き上げる姿は、机に夜通しくっついてユダヤ人のためにビザを発給した杉原千畝の写真を彷彿させた。
夕飯の後、スペイン人と結婚したフランス人であるマダム・ドミンゴという患者さんから頂いたクレープを焼きなおした。カソナードを振りかけてたたみ、バターとシナモンを乗せる。こんな美味しいクレープははじめて。小学校で作り方を教わるくらいシンプルなクレープだが、シンプル故に材料選びや分量、焼き方で味に違いが生まれるのだろう。今度レシピを聞いてくれるように頼んだ。どんなに時間を要しても結果がちゃんとついてくるのだからいいじゃない。彼への尊敬の念が生まれた日だった。