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″批判″が物事ではなく、人に向けられる時は注意しなくてはいけない。大きな声は耳に響き、ぼんやりしていれば内面に摩りこまれていく。主観で話すのはけっこうだ。人それぞれ好きなものも嫌いなものも違うし、悪口も言わず、人の批判もせず、人や物事の良い面ばかりに目を向けて生きていく、なんてどこかの自己啓発本に書かれているような態度を貫くのも人間らしさに反しているようで気味が悪い。人に対する批判や悪口は自分の気持ちが悪くなるというリスクを背負うことになるから、決して自分の得になるものではないが、それでも言いたければ言えばいい。そしてそれが当人相手ならなおいい。
人々はどうして意図も簡単に大きな声に惑わされるのだろうか。これが弱肉強食の世界なのだろうけど、わたしは″大きな声″の主に疑念を抱いている。″火のないところに煙は立たない″と言えど、小さな残り火から大きな火を起こすのを生き甲斐にしてる人だっているのだ。マーガレット・サッチャーさんの名言がある。
″The poor will not become rich, even if the rich are made poor"
大声で人をこき下ろして自分が優位にたったような気になっている人は、それで自分の立ち位置が上がったわけではないということと、わたしのように疑念の目を向けている人がいることにも注意したほうがいいと思うな。
4月からの会社の組織変更というタイミングで上司に持ち掛けた交渉は一見成功の兆しだ。この日のために、自分の能力の証明になるような数字やデータを集めて用意していたのだが、そんなものをお見せする前に、あっさり要求を呑んだようで拍子抜けした。まぁ、始動してみないとこれが成功かどうかは解らないけど。
よく働いた一週間だった。大きな達成感の溜息が漏れた。