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自分が正義と信じていることを、他人が必ずしも同じように捉えているとは限らない。自分は正義感が強いが故に人間社会で生きにくいのではないかとずっと思ってきた。実際、わたしの知っている″正義感の強い人″は誰からも好かれて人気者で、なんて人はいない。じゃぁ、″誰からも好かれて人気者″は正義感が弱いのかと言ったら決してそうとは限らない。正義感が強くても″誰からも好かれて人気者″がいるとしたら、その人はきっと他人にとっての″正義″を尊重できる人なのではないか。
このところ色々あって、気を揉んで、今日になって突然明るくなった。わたしの″色々″なんて日常の小さなことで、ひとりでちまちま考えて首を捻ってるようなレベルの話だけれど、これが大きなレベルの話になれば、先日のパリの銃撃のようなことになるのだろう。撃ったほうも撃たれたほうも両者が我こそ正義と思っていたのではないのか。
自分の正義の定義だけが正当だと思うのはやめよう。あれもこれも正義だなんて言い出せば結局自分の思考の方向を見失う。だからといって自分こそが正しいなんて信じたら他人との交渉は相当険しいものとなるのではないか。結局互いにより良い道を模索するしかないのだろう。どうしても解りあえない時、相手を自分の視界から除外する必要はない。また自分と意見を共にする人々と結束する必要もない。相手を説き伏せる必要もない。そういうのは自然と日頃の言動に自然と練り込まれてくるのだろうから。自分の内で静かな信仰を続けるのみなのだ。