My life as a cat
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2014年02月24日(月) 罪悪感

小学校でお世話になったテラさんという先生が何気なくした話は今でもしっかり覚えている。

「動物が車に轢かれて道路に横たわっていたら、もう息をしていなくたって、何度も踏まれたら可哀そうだから、車を路肩に止めて道路脇の草むらなどに除けてあげるの」

もともと好きな先生だったが、この話を聞いてわたしの中に彼女に対する揺るぎない信頼が生まれた。わたしも今度そういうところをみたら同じことをしようと思った。

でも、実際はそう簡単にできるものじゃない。

今朝、犬でも猫でもない、イタチか狸のような動物(直視できないくらい変形していた)が国道沿いの歩道に死んでいた。朝は急いでいてイマジネーションもなく通り過ぎた。落ち着いた帰り道、朝より変形したその動物がコンクリートの歩道に横たわっているのをみて、やっぱり通り過ぎてしまった。現場から遠ざかるにつれて罪悪感がつのる。勇気を出してすぐ脇の木の植え込みにでも除けてあげれば土に還ることができるのに。自分が死んだら、と想像することがある。どんなぶざまな死に方でもいい。孤独死だって恐くない。お葬式に何人来るかなんてどうでもいいし、そもそも葬式などしなくてもいいし、墓石だって建たなくてもいい。人々の記憶から見事に忘れ去られたっていい。望みは一つ、土に還ること。海でも川でも森でもどこでもいいから。わたしのようにコンクリートの上で暮らしてる人間だってそう思うんだ。森からでてきた野生動物が、車に轢かれてコンクリートの上に跡形なくなるまで横たわっていることがあまりにも不憫に思えた。

今度そんな光景を見かけたらその時は勇気を振り絞ろう。会社の引き出しにゴム手袋をしまっておけばいい。当時信頼を寄せていた先生と同じくらいの年になった。子供の頃のわたしが信頼していたような大人にわたし自身がなっていなくちゃいけないよね。


Michelina |MAIL