DiaryINDEX|
past|
will
先日、友人とカフェでおしゃべりしていたら、カミーユ君が去って心にぽっかり穴が開いた、とか、わたしがもっと魅力的な人だったら結果は違ったのかと悶々と考えて悲しくなる、などと、グチグチと心の片隅に溜まった膿のような感情が溢れてきてしまった。友人はこんな言葉をかけてくれた。
「それでも、彼の心に大きな爪痕を残したでしょう」
ふと気付く。何かに取り付かれたように勉強に没頭しているのは、無意識にカミーユ君が去って心にぽっかり開いた穴を埋めようとしていたに違いない。ふとカリカリと勉強する手を止めたら、涙がぽろぽろと出てきた。
しかし、わたしはそういうところでは健康な女の典型で、大泣きした後は妙にすっきりして、泣いた理由すら忘れてしまう。
すっかり元気になっていたところに、カミーユ君からメッセージが届いた。
″I miss you"
の文字をそこに見つけた。
「仕事が忙しい時は無我夢中で何も思い出さない。でもふと自由な時間が出来ると、君と家族が恋しくなるんだ」
と書かれていた。空港で別れる時に″あなたの住む町を訪ねたら案内してくれる?″と言ったら″訪ねてくれるならシンガポールに来て。当分はそっちにいる日が多いから″と返してくるくらい、「適当なこと」を言えない性分なのだ。友人の言葉通り彼の中に爪痕くらいは残すことが出来たのかもしれない。
先日拝見したあるある勉強熱心な方の書いた記事。その方は資格マニアや学歴マニアではないものの「人生は一生勉強」と世の中をもっともっと知りたいとあらゆる資格を取ったり学校を出たりしている。「人生は一生勉強」という箇所に賛同して読み進めたが、ひとつだけ賛同できなかったのは、「勉強に励むには独身であることが望ましい」ということ。デートなどで勉強の時間が減ることや、人はもともと孤独でありそれが当たり前であるというようなことが書かれていた。
わたしはいくら勉強に没頭したってこんな風にはなれないだろうし、なりたくもない。どんなに色んなことを知っていたって、それを話す相手がいなくて、試験に合格したって一緒に手を取り合って喜んでくれる相手がいなくて、そしてそれを寂しいとも思わない自分にはなりたくない。失恋を原動力にして勉強し、友人や大好きだった人の温かい言葉に励まされ、それがまた大きな原動力となる。結果として独身で生涯を終えることになるとしても、誰かと分かちあうことの価値を見失なったら、何か人生で一番大事な勉強をし忘れたということではないのか。