My life as a cat
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2013年07月02日(火) 結婚したら一人前

ずっと若い頃は

"結婚したら一人前"

などというような言葉をばかばかしいと思っていたけれど、それは一理あるなぁ、と感じる今日この頃だ。

"Born Free(邦題:野生のエルザ)"という映画がある。ケニヤに住む白人カップルが野生のライオンの子を保護して、実の子のように育てていく話で、実話ベースだ。人間と野生動物がその生きるべき場所という常識を覆して、共生して、深い愛情で結ばれていくうということがとても興味深く、感動的で、大好きな話なのだが、その原作となった本のレビューにこんな一文を見つけた。

"自分の愛情を無批判に受け入れる弱い立場の存在のみを認める幼稚な性格"

これは、ライオン"エルザ"の母役であるジョイに対する批判だ。ジョイが、パートナーや使用人にはさほど愛情を注がなかったということで、こういう批判に至ったようだ。彼女は何度も流産していて、その湧き出しては行き先を失ってしまう母性の矛先が、ライオンでも犬でも猫でも鳥でも、か弱き者に向けられるというのは、わたしにはとても自然に思える。だから、ジョイへの批判自体には賛同しない。でも、この一文だけをとったら、それはすごく自分のことを指摘されたようでぐさっとくる言葉だった。わたしは大いにそんなところがあると自認している。人間は言葉を持っていて、それは時にわたしを幸せにして、それでもその次の瞬間には矢のように飛んできたりもする。そういうことがとても恐くて、人との付き合いが億劫になってしまうことが多々ある。人と真剣に向き合って共生していくことは、動物と共生することよりはるかに難しい。

"恋多き女"とは、世間ではどちらかといえば褒め言葉のように使われているようだが、わたしはそうは思わない。恋多き女になることなんて、簡単でしょう。それよりも自分が決めた一人の人間と真剣に向き合って、その関係をより良いものにしていこうと試行錯誤することのほうがよほど難しいもの。そういう人間関係に対する努力の積み重ねが人を人間として成熟させるのではないだろうか。結婚や結婚生活を全て妥協と惰性で運用している人々はこの限りではないが、結婚生活をより良いものにしようと努力している人々は、やっぱり一人前の成熟した人間なのだと思う。

わたしも職場とか友人との間でも自分の意見はしっかり言うけれど、その中でも黙っていたほうがいいことって必ずある。それは正しいか正しくないかという基準でははかれない。人の心にどう響くかというのが基準だ。正しくても言わないほうがいいことをぐっと呑み込んだ時、自分は大人になった、と感心する。一人前でなくても、さなぎぐらいには成長しているみたいだ。


Michelina |MAIL