My life as a cat
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2012年12月20日(木) ささやかな幸せを

友人とわいわいと買い物をしてコタツで鍋を頬張ることとか、モンマルトルのビオのお店で買ってきたオーガニックソープのアロマの香りと柔らかな泡立ちだとか、休日の朝にいつまでもクロエちゃんとベッドでだらだらじゃれあうこととか、小さくても幸せを感じることっていくらでもある。小さくても何個も積み重ねて、今日も一日ありがとう、と感謝しながら眠りにつく。そんなふうに暮らせることはどんなに尊いことでしょう。大きな幸せが沢山あるのがいい、と思う人もいるでしょうけど、大きな幸せは滅多に味わえないから"大きい"のであって、それが日常的に起こっていたらもはや"大きい"と感じることはできないのでしょう。韓国の大統領に就任が決定した朴槿惠さんが、

「ささやかでも国民みんなが幸せを感じるような国にしていきたい」

と述べていた。オバマさんといい彼女といい、人種差別や性差別のない国というアピールにいやらしく利用されているんじゃないか、と思ってしまうくらい、初の黒人であることや女性であることにフォーカスされているように見える。国民は"今までと違う"というところに期待をかける。人間であることにはかわりがないのに。といいつつも、この発言はその後に続いた彼女の経歴を見ると合点がいく。両親ともが政治家で裕福な家庭に生まれようとも、やがては両親ともを射殺されて失ってしまったひとりの女性が、"ささやかでも幸せを"などと言うのはあまりにも俗な心理だ。そして非常に女性的だと思う。政治家が声を張りあげて大きなことを言っても実現されないことは山とある。そんな中でこんな控えめで庶民的でありつつも、依然大きな課題となりうるだろう発言は妙に胸に訴えるものがあった。


Michelina |MAIL