My life as a cat
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2012年10月30日(火) スウィートポテト

農園から掘り出したさつまいもでスウィートポテトを作った。ココア生地をきれいに巻きつけるのにちょっと苦労したが、なかなかの出来具合。自然とでこぼこしちゃうのも本当のさつまいもみたいな風合いでいいではないか。

仕事をシェアしている女の子が呆れ顔で、新人君が会社の敷地内にいる猫に食べ物をあげているのだと噂していた。わたしもたまにおなかをすかせて鳴くその猫を見かけていた。今日は食べ物にありつけたのか、よかったなとホッとしたのはわたしだけで、彼女は新人君を"バカなヤツ"と一蹴した。その後ホームレスの話題になり、
「自分で食べられないヤツは死ねばいい」
という彼女の発言が胸にぐさりと突き刺さってしまった。ホームレスがおやじ狩りにあって暴行されたとか殺されたという話はある。おやじ狩りなどをするのは、自分で働いたこともなく、親のお金で食事にありつける子供であり、そんな子供がホームレスをバカにするところにはまっとうな理論はない。しかし、彼女のような何年も自分で自分を養っている社会人がそう言うのだ。そういう発言に至るには彼女なりの経験から成る考えがあるのだろう。

自然界は弱肉強食で食べ物にありつけない者は飢えて死に、逃げる力を失えば食われる。だから、どちらが正しいとか間違っているという答えはないが、わたしは彼女とは正反対の考え方だ。わたしと彼女は職場でも同期で、辞めたり、辞めさせられたり、出入りの多いこの厳しい職場環境を生き抜いてたった二人生き残った戦友のような存在だ。しかし、人間なんてどこでぽっきり折れてしまうかわからない。ここまでふんばってやってきても明日ぽっきり折れてしまうことだってあり得る。わたしは"自分で食べられないヤツ"がどうやって自力で食べられるようになるかと考える。そのような妹を持っているからそれは家族が抱える大きな課題だ。妹は自分で食べられていないけれど、心根の優しい人間だ。だからもちろん死んでほしくなんてない。ずばぬけて明晰な頭脳を持っている代わりに野性の勘が鈍いのが人間というものだ。だったら野生の勘に生きなくても、その明晰な頭脳でみんな生きる道を考えてもいいじゃない、と思うのだ。


Michelina |MAIL