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以前流行った"空気を読む"という言葉。外国人の同僚達も週一で通わされている日本語のクラスで教わったというくらい日本の風潮を示す重要な表現だ。太田光は、
「"太田空気読めない"とか苦情がくるけど、その何が悪いの?」
と言っていた。彼のような頭の良い人は空気が読めないのではなく、とっさにその場の空気を読んだ上でチャンスを伺い、行けると判断したところであえてその空気を切るような鋭い発言をすることで、一目置かれる存在になっているのだろう。しかし、救いようもなく空気が読めない人間は多い。叱って躾けることと暴力を振るうこと、掴みあいの痴話喧嘩と殺人の区別が出来ない子供と親と教員。そしてそういう人々を見て見ぬふりをする大勢のオーディエンス。"空気を読む"という言葉の真意は"状況をわきまえる"くらいの意味合いなのかもしれないが、深く深く辿っていけば、空気が読めないということに繋がっているのではないか。連日報道される子供同士のいじめや親の虐待、加減を知らないから自殺に追いやったり殴り殺してしまったりする。
わたしは母親に殴り殺された小5の女の子のニュースにとても胸をいためた。世の中の大抵の子供は親に愛されて当たり前という顔で無邪気にイタズラを繰り返したり、物をねだってぐずったりする。それが子供というものだろう。そして親は叱っても相変わらず子供を愛してる。それがこの子はどうだろう。
「いい子にしてないと捨てられる」
と、母親の顔色を伺いながらびくびくと暮らして、その挙句に殴り殺されてしまう。捨てられたほうがよほどましだったでしょう。あと5年もすれば幸せな家族を自分で作れたかもしれないのに。こんな人生ってあるだろうか。子供が欲しくても出来ない人も沢山いるのに、その脇で望んでもない人がポンッと子供を産んでしまう。日ごろ、人生は因果応報だと信じているけれど、こんな話をきくとそんな信念はぽっきり折れてしまいそうになる。
さて、やっと3連休。ちょっと気になっていたインディアン・レストランでランチした。オーガニックの素材にこだわっているのがウリらしいが、木のぬくもりを感じる暖かい店の雰囲気も味もサービスもほぼ満点。アットホームな雰囲気の演出だろうか、客が会計する時以外はレジに布を被せていたりするほんの小さな気遣いもなかなかオツだね!わたしは突然ものすごい食欲を発揮し、ターメリックライスをお代わりしたのでした。南雲先生が聞いたら泣くでしょう。