My life as a cat
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2012年06月02日(土) やがては消えてしまう時間

毎日あけてもくれても新玉ねぎ、というくらいあちこちから沢山いただいた。煮て、焼いて、蒸してあれこれやって食べているから毎日食べても毎日うまい。休日のブランチはオニオングラタンスープ。玉ねぎを飴色に炒め尽くすのに時間を食うから休日じゃないと出来ないな。コツはないけど、シンプルで美味しい。

母の日と父の誕生日のお祝いを兼ねて、会社の忘年会などでよく行く、ワインのソムリエのいるちょっと粋な蕎麦屋へ家族で外食に出かけた。家族4人が揃うのは正月以来。一緒に暮らしていればうんざりするような代わり映えなく刺激のない家族の会話も、ひとりで暮らすようになってからはかけがえのない大事なものに思える。妹は結婚式に行くのにあのバッグ(と指定した)を貸せと言い(わたしは妹の持ち物など全く興味がなく覚えていないのに、あちらはわたしの持ち物を目ざとく把握していて、飽きたらもらおうとか、貸してもらおうなどとたくらんでいるのだ。妹気質ってこんなんなのだろうか?)、両親は半径5kmの生活圏内で起きた他愛ない小さな出来事をいかにも壮絶なドラマのように話す。一見あいかわらずだ。しかし、両親の体は小さくなって、微妙に会話が噛み合っていないことに気付く。

先日、近所のスタバで10歳年下の従兄弟と話す機会を得た。妹と彼は5歳違いで子供の頃から仲良くしていたらしいが、10歳違うわたしは共通の話題も見つけられず、殆ど会話を持ったことがなかった。もっとも会う機会にも恵まれなかったのだが。しかし時が経ち、彼も成長し(ちなみに速水もこみちという青年にそっくりだ!!)、普通の世間話のひとつも出来るようになっていた。ピザはやっぱりウッドベイクだとか、生活がかかったブラジルのサッカーは違うだとか。

成長する者と老いる者、一見代わり映えのない緩やかな日常においても、時間は確実に流れていて、生きている限り永遠に続くものなどないのだと思い知らされたふたつの出来事だった。


Michelina |MAIL