My life as a cat
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2011年04月24日(日) Somewhere

昨日のぐずついた空と打って変わって今日は朝から快晴。ランチの約束の前にと早起きして、一揆に滞っていた家事を片付け、気まぐれに買い集めた花を寄せ鉢にした。土を盛るたびにクロエちゃんがたよりなく軽々しい手でぽんぽんっと押してくれる。最初は、クロちゃんは何でもお手伝いしてくれるいいコだねぇ、などと喜んでいたが、ふと気付くと手も足も泥んこになって、その体で磨いたばかりのフローリングの上をぺたぺたと足跡をつけて歩いていた。やれやれ。。。寄せ鉢の花はみんな違う顔と違う背丈で、それでも仲良く微笑んでいるようで、窓際がぱっと明るくなった。

銀座でランチを食べて、日比谷公園で日向ぼっこをして、陽が傾きかける頃、映画館に入った。ヒューマン・トラスト・シネマは初めてだったが、入場した瞬間そのスクリーンの小ささに驚き、失敗したと思った。コーエン・ブラザーズの"True Grid"を選んだダミアンを制して、ソフィア・コッポラの"Somewhere"を選んだのはわたしだった。追い討ちをかけるように、出始めの閑散としたサーキットをスポーツカーがひたすら空虚な音を立て廻っているシーンなど、このまま二度と終わりがこないのではないかというくらい長く、もうがっかりしきっているダミアンの淀んだ心臓の音が伝わってくるようだった。結果的に、そう悪くはなかったとわたしは思う。セレブの空虚と言葉の通じない場所での孤独と気楽さを描いたところなど"Lost in translation"とよく似ていた。そしてソフィア・コッポラの映画のひとつの大きな見どころは決まって"Girls"。"Girls"は大人だろうが子供だろうが、いつも決まってイノセントな表情をして愛らしいドレスに身を包んで、淡いピンクのふわふわの綿菓子の上に寝転んでいるような甘い空気を漂わせる。この映画でもたった11歳の娘のクレオは他の作品の"Girls"に引けをとらなかった。ホテルで暮らし、酒びたりで女にもだらしないハリウッド・スターである父の荒廃しきって灰色にくすんだ私生活の中で、クレオのおろしたてのような美しさと透明な感性だけが眩しく光を放っていた。甲斐甲斐しく朝ごはんを作り、とびきりの笑顔を見せる娘だけが父の心に静かな幸福を与えていた。手作りの料理の温もりを知った父が、娘が去った後、不器用に大量のパスタを茹でて無心で食べる姿は胸に堪えた。


Michelina |MAIL