My life as a cat
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2011年03月18日(金) ここにいよう

大地震とそれに対する海外メディアの恐怖を煽るような報道の数々、そしてそれを鵜呑みにする以外に手段のない外国人達のパニックに巻き込まれ神経をすり減らした一週間だった。交通機関の乱れで火曜あたりまではみんなどたばたしていたものの、水曜には日本人はほぼ普段のリズムを取り戻し、淡々と働いていた。が、各国政府が相次いで避難勧告をだしたこともあって、外国人達は原発事故による放射能の被害が気になってそれどころではなかった。もう一週間後に帰国が決まっていて、あとはお別れ会でぱっと飲んで去るはずだったブリティッシュ・ガイは木曜の朝突然チケットを変更し、別れの挨拶もなしに去っていってしまった。まだ連絡がないので、なぜそう決断したのか、本人の決断だったのかわからない。ランチタイムをだらだらと気だるく一緒に過ごし、いくつもの夜を沢山笑って飲み明かした仲間だというのに、最後に彼に買った風鈴を渡すことができず、こんなお別れになったのがせつなかった。ダミアンは火曜の仕事中に電話をかけてきて、

「今から名古屋に逃げよう。」

という。彼の職場(全員外国人)の人々はもう東京を去って残るは自分ひとりなのだという。突然のことに驚いて、一度電話を切って考えた。確かに通常よりも放射能を多く浴びているようだ。しかし、健康にただちに被害を与える量ではないと専門家が口を揃える。些細な会社内の噂ですら正確に伝達されないのだから、報道なんてどこまで真実なのかわからない。しかし、原子力発電所が自分の町にできたら嫌だと思いながらもみんなちゃっかりその恩恵にあずかっている。それが悪いことが起きたといって、ただ逃げることに気がすすまない。必死で対応に当たっている人々がいる。そしてわたしの家族もここにいる。もちろん本当に"危険なので逃げてください"と言われてまでここにいてチェルノブイリのような悲惨な事故を巻き起こすのはノーポイントだ。しかし、今わたしにできることは、大丈夫だという政府の言葉と、必死に事故の対応に当たっている人々を信じて見守ることだ。ダミアンを説得し、ひとりで名古屋に行ってもらった。アメリカン・ガイも後から名古屋に向かった。

パニックに陥っている欧米人とうらはらにアジア系の外国人達は冷静だった。友のインディアン・ガイは母国にある派遣元の会社にチケットを手配され、帰国命令を受けたので仕方なく去ることになったが、うかない顔でこんなことを言った。

「いつも日本人と仕事をして日本人と過ごしている。みんなで激務をこなし、一緒に頑張ってきた。それなのに、この国に悪いことが起きたからといってすぐに自分だけ逃げ帰っていくのは日本人に申し訳ないように思う。僕はここに留まって、一緒に事態が好転するのを祈りたい。」

わたしは感動していた。この国にこんなに情を持っているなんて今まで知らなかったし、彼が思考の違いから生じるトラブルに悩んだり、孤独を感じたりしながらも、一生懸命この国にアダプトしようと努めている過程を見てきたから、あぁ、やっとこの国と心を通じ合わせたのだと感じた。いや、あらゆる葛藤を乗り越えてきたからこそ、大きな情が沸いたのかもしれない。

わずかな額の寄付金を出す以外にわたしにできることはないけれど、ひとつひとつの復興への思いがやがて身を結びますように。


Michelina |MAIL