DiaryINDEX|
past|
will
元同僚から無事に子宮の治療を終えたとの知らせが届いた。そしてわたしが何気なく発した一言が大きく彼女の心持ちを変えて、不安や落胆もなく乗り切れたのだと感謝もされた。メスを入れるということで既に体に負担をかけているのだから、心的負担だけでも軽減されたのはよかった。
岡部伊都子著「ハンセン病とともに」という本を読んだ。自身が結核にかかり、14歳で通学をやめて読書に耽る日々の中で知ったハンセン病患者の心的苦痛、社会のあらゆる差別への反感、命の尊さなど飾らない率直な言葉で語られている。
「わたしは、痛みを持つことが人間としてどんなに大事なことか、健康というものは、痛まないのではないのでして、痛むべきものは、まともに痛むのが心の健康だと思っているんです。鈍感に、何にも人の苦労がわかれへんことが、健康なのでも幸せなのでも、わたしはないと思っています。」
というのが強く心に残った。
他人と比較して嫉妬や優越の感情ばかりに左右されて生きるのはつまらないと思う。親の受験戦争に巻き込まれて塾通いしなければならない子供達の表情を見れば、靴下を丸めて作ったサッカーボールではしゃいで遊ぶ貧しい国の子供達が可哀想とは思わない。でも、生きたい人がちゃんと治療を受けられることがどれだけ特別で恵まれていることか、世界を見ればよくわかる。
既に出産を終えた友人達は健康なのに、子供が欲しいと切に願うわたしがどうして、と一度だけ異物を吐き出すように嘆いた同僚も、「あなたの言った通りだった。入院中抗がん剤を投与されて暴れて苦しんでる人と隣り合わせて、見ているのが苦しかった。こんなこと言ったら申し訳ないかもしれないけれど、偶然早期発見してこの程度で済んだわたしは何て幸運だったのだろうと思った。」と言ってくれた。わたしは自分の為に彼女にそんなことを言ったのかもしれない。もう泣き言はない彼女のメールに勇気を贈り返された。