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わたしには他人が言うには「ある種の強さ」があって、でもそれは本当は「強さ」なんかじゃなくて他人を信用しきって裏切られてしまうことに対する恐怖心なのか、自分でもよく解からないのだけれど、他人に依存してしまうことは稀なので基本的に1人なのだと思っていて、だからこの人がいなければ生きられないとかいうことはあまり思わなくて、例えば誰かと別れなければならない時、どちらかというと「淋しい」という感情よりも「またどこかで会えたらいいなぁ」というポジティブな感情のほうが先に立つ。だからわたしは今まで知り合った大抵の人との別れ方は自分の心情的にはあっさりしたものだった。
今日は明日ここを発ってしまう高校の同級生のお別れ会を彼女の住むシェアハウスでした。食事はわたしが担当。洋食が好きな彼女の為に頑張ってパスタを打ち、ほうれん草とリコッタチーズを入れたラビオリを、醤油系が好きな他のメンバーには人参餃子と玄米ごはん、ピリ辛キュウリの漬物、黒豆ベジバーグ、などを作った。メンバーはコリアンの男の子二人と日本人の女の子3人。わたし達3人はガブガブワインを飲み、コリアン二人はマグカップのお茶を啜っていて全く飲まない。シェアハウスのオーナーのコリアンボーイは机に向かってではなく路上で覚えたのだろう発音も言い回しもSounds naturalな日本語を話し、ギャグまで言うのが可笑しかった。そしてわたしの知る典型的コリアンらしくカラオケ大好きで早くカラオケに行こうとお腹が満たされるとさっさとテーブルの上の食べ物を片付けられてしまった。カラオケボックスではコリアンの二人によるミニライブ状態で発音よくバンバン日本のポップスを熱唱し素晴らしい!と感動していると、ところどころ「いつか」が「いちゅか」とかになっていてズッコケさせられた(笑)
彼女とは1年前にここで再会した。わたしを訪ねてここに来たわけではなく、ここに来ることが決まってからわたしがここにいるのを聞きつけて連絡をくれたのだった。7年も連絡をとっていなかった友達からの突然「そっちにいくから」とのメールに驚きそわそわしながら空港に向かえに行った。が、空港の出口で再会した彼女は変わっていなくて拍子抜けした。再会したばかりの時はなつかしいとかそんな風にしか感じなかった。けれど、大人になってから知り合った友達と10代を一緒に過ごした友達とは何か違って、彼女に対してはわたしの感覚が10代に戻ってしまって子供のようなところを恥ずかしげもなく見せてしまえるのだ。それが海外で親も親戚もいなくて頼れるごくわずかな人間にまで少しだけ気を張っていたわたしにとても安心感を与えてくれた。だから前述のわたしはあっさり覆され、2ヵ月後には日本でまた会えるのに彼女がパースを去ることがあまりにも淋しかった。そして28歳で?と言われるかもしれないけれど、わたしは確実に自分が少し若い頃より気が弱くなってしまったと感じる。
人生って不思議。ある日突然旅のみちづれができたり失ったり。。。だから楽しいんだって思うことにしなくちゃねっ。