プラチナブルー 外伝 第1章【起源】第3話 December,23 2038 プラチナブルー 外伝.3 ルーツィエ・フォン・ローゼンバーグ Lucie Von Rothenberg 2038年 冬 ロサンゼルス連邦共和国 タツミコーポレーション本社ビル秘書室 「おはよう、ルーツィエ。どう?具合は」 「おはよう、円香。大分よくなったわ。体が少し重いけれど…」 週末に体調を崩し、病み上がりの朝に声をかけてきたのは、タツミコーポレーション社長の長女、辰巳円香だった。 円香の開放的な性格がルーツィエにとって心地よく、同年齢ということもあってか、人見知りの激しいルーツィエには珍しくすぐに友達になった。 「でも、本当に大丈夫? 3回目よ。一度検査を受けてみたほうがいいんじゃない?」 「ん〜。ありがとう。明後日のクリスマスにはパパも来るらしいので、その時に見てもらおうかしら」 「うん、そうね。それがいいわ。午前中はウェブ会議でルートアクセスの案件だけだから、アタシのほうで済ませておくね」 「うん、いつもごめんね。迷惑ばかりかけて…」 「あら、いいのよそれは気にしなくて、具合が良ければ12:00になったらランチにでかけましょう。お勧めのところを探しておいてね」 「OK」 「ルーツィエのお勧めに外れはないから、楽しみにしてるわ」 「きゃはは。」 本社の秘書室は3ルームあり、それぞれに12人ずつが配属されていた。この日、普段よりも1時間遅れで出社したため、円香が出かけた後は、ルーツィエひとりになった。ルーツィエは何気にデスク中央に常時電源の入っているパソコンのパネルに触れ、ランチ情報を検索した。 「お勧めのランチ・・・あら、今週もたくさん新店が出てるのね。・・・北欧料理・・・そういえば、トッティも修業してるんだっけ…」 ルーツィエは思いつくまま独り言を奏で、パネルを指で送りながら北欧料理店の新着情報を開いていた。 「やだ・・・嘘・・・あれほど探して見つからなかったのに、・・・こんなことって・・・」 紹介欄には、紛れもなくトッティ本人の料理を振舞っている姿が映し出されていた。少年の頃の強い意志を持った瞳に、変わらぬ笑顔。精悍になった顔つきが6年間の時の流れを感じさせた。紹介記事は、評論家から来店した客の声まで、さまざまな人の感想がリアルタイムでパネルに増え続けている。ルーツィエは画面をスクロールし、読み進めていくほど胸に熱い思いがこみ上げてきた。 「会いたい・・・。」 2038年 冬 ロサンゼルス連邦国際空港 フリッツ・フォン・ローゼンバーグはプロイセン国発ロサンゼルス連邦空港行きの機内から降り立った。 到着口のゲートから出ると、デニスが出迎えに来ていた。 「教授、お久しぶりです。」 「うむ。」 デニスは、フリッツから手荷物を受け取ると、用意した車の方向を告げ、足早に歩き始めた。 「車には、会長ご夫妻がお待ちになっております。」 「そうか・・・。」 フリッツが出迎えのリムジンの後部座席に乗り込むと、デニスの運転で車はゆっくりと走り出した。 「遥、こちらがフリッツ・フォン・ローゼンバーグ博士。この方の父上、エリッヒ氏が円香に命を授けてくださった方じゃ。」 タツミコーポレーションの辰巳直樹会長に婦人を紹介されたフリッツは、握手を交わしたその右手を、遥と呼ばれた婦人の前に差し出した。 「初めまして。会長ご夫妻のお陰で、今こうして研究を続けていくことが出来ております。感謝の言葉もございません」 「お父上が亡くなられて、もう6年にもなるんですね。偉大な方でしたわ」 一通りの挨拶を交わした後、遥が庫内から取り出したワインをグラスに注いだ。 「博士。今回の来訪は、娘さんの容態についてと伺っておるが・・・」 「ええ、ルーツィエが3度目の発作を起こしたと、デニス君から連絡を受けまして」 「確か父君の話では、プラチナブルー鉱石との融合とリロードで寿命が20年延命できると聞いていたのだが・・・」 「はい、円香お嬢様のようなケースで、誕生後に術式を行った場合は、20年間は発症を停止することができます。寿命が延びるわけではなく、あくまでも発症を停止できる期間です。」 「うむ」 「そして、万一、発作が起こったとしても、術時13歳の時の遺伝子情報がプラチナブルー鉱石にコピーされており、生命体本体にリロードした後、時間をかけて、プラチナブルーからゆっくりと記憶を取り戻していくことができます。・・・ところが、ルーツィエのように誕生前に術式を施した場合・・・」 「記憶を持たぬ、真っ白な遺伝子のみのリロードになると?」 「おそらくは・・・何分前例がないもので・・・ただ、はっきりと申し上げられるのは、円香お嬢様の場合は、誕生後、常にすべての関連事項がプラチナブルーとの間で情報交換されておりますので、事の際にも100%円香お嬢様自身の人格を再リロードすることが可能です。たとえ、肉体のほうが別のものであったとしても・・・。そしてルーツィエの場合は、本体はルーツィエ自身ではなく、プラチナブルーからのリロードのため・・・」 「つまりは、同じ人格でありながら、過去の記憶を持たぬ存在であると・・・」 「おっしゃる通りでございます。ルーツィエの鉱石には治癒能力に長けた細胞の存在を確認しておりますが、記憶に関するブロックの成長をいまだ見つけておりません」 「そうでしたか…」 神妙になった男同士の会話に、空いたグラスの置かれたサイドテーブル。 まもなくして、デニスの運転する車が辰巳家の車庫の前で停止した。 「難しいことはわかりませんけど、人が進化するように、その青い石もきっと進化するのだと信じましょう。」 言葉を失っていたフリッツが、遥の言葉に顔を上げると、辰巳家北側にある教会の鐘の音が吹き降ろす風に鳴り響き、昼の刻を告げていた。 2038年 冬 ロサンゼルス連邦共和国 タツミコーポレーション本社ビル秘書室 「ルーツィエ。いいお店は見つかった?」 「うん。ここなんてどうかしら・・・ううん、ここにしましょう」 ルーツィエは、デスク前の液晶画面を指差しながら円香に答えた。 「どこどこ?」 円香は手荷物を無造作にデスクに置くと、深緑に近い黒い髪を右手で梳かしながらルーツィエの指先が離れたパネルを覗き込んだ。 「ダウンタウンにできた新しいお店ね。でも、北欧料理なんてあたし初めてだわ。」 「いい?じゃあ行こう」 ルーツィエは店の住所をもう一度確認してから席を立つと、円香の手を引いて歩き出した。 「どうしたの、ルーツィエ。そんなに急いで」 円香は、平素おっとりとした印象のルーツィエが、何かに駆り立てられたような雰囲気に変化していることに戸惑いながらも、質問せざるを得なかった。 「・・・円香。実はね、」 ルーツィエは意を決したように、これまで胸の奥に秘めていた想いを止め処もなく円香に話した。オフィスから店までの20分間、円香はただずっとルーツィエの声に聞き入っていた。 「いい話じゃない、ルーツィエ。・・・いよいよね。」 「うん、・・・でも円香、アタシとっても胸が苦しい・・・。」 |