指先の記憶 April,5 2045 幾万種類のオレンジ色を混ぜ合わせたような夕焼けの空は、 ゆっくりと暗幕を降ろすように闇に変わった。 規則正しく走る車のヘッドライトの光が、街中を支配している。 テラスで考え事をしていたリカは、肌寒さの残る風に吹かれ、 無意識に身震いしたあと、時間の感覚を取り戻した。 部屋に戻ると、先ほど初老の男が映っていたフォログラムの右側が、青色に点灯していた。 メッセージ着信を知らせるイルミネーションだ。 その光に触れると、中央に伝言を残した者が投影される仕組みになっている。 『リカ。今日が採用試験の発表の日だったわね。どうだった? 連絡頂戴ね』 (あ、ママからだ。あーん、駄目だったことをどうやって伝えようか・・・) 『リカ。元気にしている? たまには家にご飯食べにおいでよ。 そうそう、来週から彼が出張なの。また、連絡するわ』 (そういえば、お姉ちゃんのところにも随分顔を出してないな。 新婚だから足が遠のくのよね、アタシ) 『リカ〜 たまには遊びにこいよ〜 最近見かけないからみんな心配しているぞ〜 勿論、俺が一番心配しているんだけどな。じゃあな』 (WEB麻雀サークルで、口説き文句が挨拶がわりの部長からだ。何回告白されたんだっけ。 最後に遊んでから、どれくらいになるのだろう。みんな元気かな?) ママにも、お姉ちゃんにも、友達にも、 『合格したよ』って伝えたかったな。 すっかりと誰かとの接触がおっくうになっていることを自覚しつつ、 クッションを胸に抱き、ソファーに深々と体を沈め、天井を見つめた。 (次こそ絶対パスしなくちゃ。・・・だけど、どうやって?) どうすれば次のチャンスを手に入れられるかを考えながら、やがて眠りに落ちていた。 奥行きの見えない真っ白い空間。 眩しすぎるライトのためか、部屋全体の色なのかよくわからない。 宙に浮いているような感覚でバランスを崩し、私はその場に座りこんだ。 「リカ。こっちよ」 その声は、緑色のシルクをかけた食卓のテーブルから聞こえた。 「お姉ちゃん・・・それに・・・」 振り返ると、3人が座っている。 お姉ちゃんとお義兄ちゃん。もうひとりは・・・知らない男の人。 テーブルの向かい側に座っている男の顔は、光が眩しくてよく見えない。 「さあ、始めるわよ」 姉がテーブルの上に突如現れた麻雀牌をかき混ぜ始めた。 同時に右側の兄も、そして向こう側の男も。 3人の手がテーブルの中央に集まり左右に揺れている。 (え〜?! お姉ちゃん・・・って麻雀知っているの? それに普段はぼ〜っとしているお兄ちゃんもなんだか手馴れた感じだし・・・) 私は本物の麻雀牌に触れたことがない。 が、それが麻雀牌であるということを瞬時に理解した。 カシャカシャという牌がぶつかり合う音は予想以上に大きく、 「こいつは弟の・・・っていうんだ」 という兄の声が掻き消された。 次の瞬間 瞬きひとつで残り6枚というシーンに切り替わった。 七萬をポンしているところに掴んできた七萬。 私は迷わず 「槓(カン)」 『槓をしたときには ここを捲るんだ』 初めて聞いた対面の男の声。 無愛想な顔つきに似合わぬ清々しい声で槓ドラへ人差し指を伸ばす。 魔法のように指1本で裏返されたのは六萬。 「あ」 「おお」 姉夫婦から同時に漏れた声。 対面の男の口元が微かに笑ったようにも見えた。 私が嶺上牌(リンシャンハイ)を取り、親指に力を込める。 盲牌(モウパイ)という言葉さえ知らないこの指に伝わる文字。 (あ、この牌は・・・) 指先から背筋まで、電流がほとばしるような感覚に襲われた。 夢から醒めたこの指先に残る不思議な感触。 両腕で抱き締めたままのクッションを放り投げ、右手を天井に掲げ、親指と中指を重ねた。 (あの牌が何だったのか、確かめてみたい。・・・そうだ、確かめに行こう) 脚を投げ出し、体半分を起こした私の頭上に、クッションが落ちてきた。 |