朝日のBe(紙面)で、ミタニンの発言 「本当の意味で客席がわいたと感じたのは歌舞伎と文楽だけ。」(うろ覚え)に、大きくうなずいた。 あの2つは空気の盛り上がりがただ事ではなかった。
普段舞台を見ているときに、頭のどこかに"見ている私の意識"が残る。 私の場合、解釈脳として働くことが多い。
例えば、TTB!を見て、いい歌だなぁーと浸りつつ、 "ある種の切替期。プールで折り返しの板を蹴ったような"と思ったりする。 もしくは"宇宙空間を感じるなぁ"とか"白い静寂だなぁ"とラベリングしだす。
舞台の見方として道に外れてる。 私の思う真っ当な舞台の見方はこれだ。 「志村ぁーっ!後ろーっ!」
例えがことごとく古いと言われるが、これ以上のイメージが浮かばない。 ドリフターズのコントの定番シーンだ。 後ろから危険が迫っている。なのに志村は気がつかない。 僕が教えてあげなくちゃ。「後ろーっ!後ろだってばぁー!!」と声を限りに叫ぶお子様がた。
舞台と客席の、演目と日常の境界線がなく、「何とかしてあげたいっ!」と我を忘れて心が走る。 そんな没入感が私にとっての王道の観劇シーン。
舞台見て涙したり、面白かったーと思ったり、凄いなとか綺麗だな楽しい時間だな、とかは色々ある。 でも、舞台が終わった後、はっと我に帰るような全身全霊のずっぽり異空間体験は、文楽と歌舞伎だけだった。
見終わると湯上りの気分。 私だけじゃないよね。。。。という気もしてた。 客席全体が、我を忘れたような拍手と笑い声に包まれた・・よね。 (今まで断言出来なかったのは、夢中になりすぎて周りを観察する余裕がないからだ) でも、作者もそう感じてならそうなんだろう。
伝統芸能の型の力なのか。 ミタニンだけでもだめ。伝統芸能だけでもだめ。 ("だめ"って言うのは作品としての否定じゃない。念のため。 それぞれとても面白い。確かに面白いんだけど、でも沸き方が、正確には沸き方の抑制の効き方が全然違うんだ) 2つが重なった時に、何だか見たことの無い沸きあがる芝居小屋空間が生まれる。 宇宙船に近いかもなー。
『おのれナポレオン』も面白い舞台になるといいな。舞台で見たことないのは周平とうっちーか。 野田さんは前に見たときに、ふにゃふにゃ。。。わー に疲れたのと、メッセージ性が合わなくてその後避けてたけど、どうだろう、印象変わるかしら?
alain
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