福岡KBCラジオ 【週刊◆和田毅】毎週木曜日 18:35〜 今日はワクワク!13回目の放送です。
今日の放送は、 今年急逝された稲尾和久氏のエピソードを中心に 九州の野球界へ寄せるファンの思い、 それを担う地元球団の投手としての決意 などの内容でした
番組へのメール(watti@kbc.co.jp)はここから→ 週刊☆和田毅
KBCラジオ番組サイト→ 週刊◆和田毅
お相手は、村中ディレクターです。 それでは、今日の番組アップをどうぞ!
※本文中敬称略
■和田 皆さん、あと5日で!え〜〜、お正月になります。 もう年末の大掃除は終わったでしょうか?・・・和田毅です!
□村中 大掃除でお疲れ、って言うよりも あのぉぉ・・・奥様から、居場所がないんで子供をあやしてくれ、っていう・・・子供をあやし疲れのワッチですよね!
■和田 う〜〜ん(汗)ま、一理ありますねぇ・・・
□村中 そうですかっ!
■和田 はぁ〜〜い・・・・
□村中 大丈夫ですか?
■和田 大丈夫ですよっ!全然!
□村中 残り5日間
■和田 残り5日ですね!もうねぇ!
□村中 そうですねぇぇ・・・
■和田 うちはまだですけど、大掃除は・・・
□村中 祭事(?)っていうのは手伝われてありますか?
■和田 もちろんやりますよ!
□村中 あっ!さすがぁぁ〜〜
■和田 はいっ!
□村中 えーーーーっ、ガラっと話を変えまして、先週からちょっとお話してましたけども
■和田 はい
□村中 ま、あのぉぉ・・・・ 今年は、え〜〜九州の野球界にとっては、
■和田 はい
□村中 大きい存在だった、ほんとうに大きい巨大な存在だった稲尾さんが、 11月13日にお亡くなりになって
■和田 はい!
□村中 和田投手がホークスに入団以来、ほんとうにこう・・・激励していただいてということで あのぉぉ、現役時代の成績でいいますと、756試合、え〜〜14年間 276勝37敗!防御率1・98ですよ!
■和田 これ・・通算防御率、2点をきるっていうのが驚異的ですよね!
□村中 ほんとですね! で!通算、完投が179、完封が43! 勝率6割6分8厘・・・0・668!
■和田 6割以上っていう・・・っていうか何ですかねぇぇ!(驚)
□村中 それで、これはじつはワッチはご存知ない話ですけれども! 稲尾さんが最後に!
■和田 はぁい
□村中 現役を引退されたあと、もちろんライオンズの監督もやられたんですが、
■和田 はぁい・・・
□村中 最後に監督としてユニフォーム着られたっていうのが、1984年から1986年までの間、
■和田 はい
□村中 ロッテ・・・当時オリオンズ!
■和田 はい!
□村中 なぜ、このロッテを監督を引き受けられたかっていうことはご存知ないですよね?
■和田 いやぁ・・わかりませんねぇ・・・ちょっと・・
□村中 じつは、もう、この時点で! あのぉぉ・・・ホークスという、今は九州にはありますけども、 ホークスは当時南海ホークスですから
■和田 はい・・大阪ですよね
□村中 大阪ですよね? ライオンズというチームは、その前に、結果的に所沢に行ってしまったんですね、西武という球団に、あの・・チームに
■和田 うん、うん・・
□村中 で、なんとか九州に! もう一度球団を、といったときに、稲尾さんは相当奔走されたんです。
■和田 あぁぁ・・・
□村中 なんとか戻すことはできないだろうか、ということで、 で!あの・・・奔走されたときに、ロッテが当時・・・フランチャイズを将来的に九州に移転しても、という
■和田 うむむむ・・
□村中 そういう、方向性を持って、いることで(監督を)引き受けられた、と! だから、もし・・九州でそういうチャンスがなければ、ロッテの監督も引き受けられることもなかったんじゃないかという、
■和田 はい
□村中 それぐらい、その・・九州にもう一度球団を遺したいという願いを持って、 ずーーっと最後まで、ね、野球界のためにというか、九州の野球界のために、っていう だから、ほんとうにその九州に、まぁ・・稲尾さんにとられては、ライオンズのエース・ピッチャーにとっては、当時のホークスというのは宿敵ですけども
■和田 はい
□村中 そのことの垣根を越えたうえでですね、あのぉぉ・・・この九州にチームが帰ってきて、そのチームが、その・・今をときめくホークスになった、強いホークスになったっていうのは、誇りであり喜びだったんじゃないかな、と思うんですよね・・・
■和田 うむむ・・・ホントに稲尾さんのね、そういう話を聞いたりね、いろんな、そうですね、引退されたからのね、活動をみるとですね、 やっぱり、なんですかね、自分というよりプロ野球のために、あの・・ご尽力された方っていう印象っていうんですかね、 ほんと、そのために頑張ってこられた方だったんだな、と・・思いましたね・・・
□村中 で、また・・西鉄が強かった時代っていうのは 本当になんていうんですかね、九州っていうのは、あの・・・工業地帯に北九州がありましたし、 ホントに労働者の人たちが、ほんとに汗水たらして日本の将来のためにっていう、高度成長を支えていった、そういうときにまた中央のジャイアンツというチームを倒すから、また・・
■和田 うむ・・・
□村中 自分たちの代表選手みたいなイメージがあって・・・っていうことで、 今年の最後のレギュラー放送で珍しく、いま、バックに音楽がかかってるんですけど
■和田 はい・・・
□村中 これですね、あの、チャゲ&飛鳥のチャゲさんが作った曲で
■和田 はい
□村中 「NとLの野球帽」という・・・
■和田 はい・・・
□村中 これ、NとLですから、まさに
■和田 西鉄ライオンズですよね!
□村中 で、これ、あのチャゲさんは小倉の生まれなんですよね
■和田 はぁぁ・・・
□村中 で、自分が少年時代に、要するにモクモクと煙が出てた工業地帯のなかで、キャッチボールを父親とやったって、その自分の思い出のなかにあるのは、ライオンズで、 で、lここで、サビで出てくる1969ですね、
■和田 はい
□村中 この1969年というのは! どんなキーワードだか、わかります??
■和田 まぁ、話の流れからいくと・・・西鉄ライオンズがなくなったか、 稲尾さんが・・・
□村中 おっしゃるとおりです。稲尾さんが、引退して最後のシーズン・・
■和田 はぁぁ・・
□村中 1勝7敗だったんですけど、ま、稲尾さんの引退・・現役引退とともに、ま、ライオンズのその応援してきたファンの方にとっては、ですね、ま、その後のこう、繁栄と衰退にっていう・・ま、ひとつの時代の移り変わりというか
■和田 区切りというか・・・
□村中 そういうところをこう・・・のちにチャゲとなって チャゲとなってっていうのは(笑)おかしいですけども(笑) チャゲさんは、たぶん思いに託して歌にしたと思うんですけどね・・・ そういう九州で、野球をやれてる自分を改めてどう思います?
■和田 いや、ホントにみんなの思い入れが集まった球団というんですかね、 あの・・・ほんとにもう、おらが街のおらがチームだ、っていうね、 ホントにもう・・・なんでしょうかね、応援していただけるんだなぁって だから、あのぉぉ・・僕らがね、どれだけ負けてもね、あの〜〜悔しい思いをしてもね、あれだけファンがね、応援してくれるんだなぁ、って、 今でも、その当時からね、30何年前からのね、
□村中 はぁい・・・
■和田 そういう思いが今もね、まだ引き継がれるんだなぁっていう感じがしますねぇ
□村中 それを、なんか胸を張って、受け継ぎたいなぁっていう気持ちになりませんか?
■和田 あぁ・・・そうですね! もう、そういう・・・のは、もう、ずーーっとね、伝統としてね、伝統というか、こういう、 なんですかね、思いっていうのは引き継いでいきたいですね、
□村中 この歌(NとLの野球帽)のしめくくりは、1969年ですけど、ワッチにとっては2008年に向けて、ということで! その九州の野球文化を受け継ぐ決意も含めて・・・
■和田 うむむ
□村中 今年の最後に皆さんに!メッセージでまとめられたらと思うんですけど、いかがでしょ?
■和田 そうですね・・・ もうホントに今年もね、残念な結果になってしまいましたけどね、 え〜〜、来年こそはね、ほんとにいい思いというか、皆さんと至福のときをね、迎えられるように頑張りたいですし、
□村中 うむ!
■和田 ホントに、みんなでね!おらが街、おらがチームとなって、ね!
□村中 そうですねぇ!
■和田 すべてのね、チームと戦って、え・・・勝っていきたいですね、
□村中 心に稲尾さんと、その・・・・NとLの野球帽をしっかり持ちながら sとhの帽子で!ユニフォームで!
■和田 そうですね! sとhのね、宙に舞う姿をね・・・ sとhの監督が宙に舞う姿を僕らも信じて
□村中 そうですね!是非楽しみにしていますので
■和田 はい!
□村中 来年もまた、このWatti・Radioが
■和田 来年もね、Watti・Radioやりますので! それでは皆さん!2008年・・・よいお年をお迎えください! さよなら〜〜
今日の放送は以上です!
今年のレギュラー放送は今回が最後でした。
来週はお正月・・・・・ ワッチは島根のご実家で新年を迎えられるようですね。 どうぞ、よいお年を!
今年も毎週、楽しく聴かせていただきました。 来年もまた毎週、楽しみに番組聴きますね! ありがとうございました!
あ!!大事なことをお知らせしなければ! 12月31日(月) 18:05〜19:00 福岡KBCラジオで
雲海酒造プレゼンツ 週刊☆和田毅 スペシャルトークバトル2007 が放送されます。 どうぞ、お聞きのがしなく〜〜!
今日の放送を聴いていて、一番感じたことは 村中ディレクターが「NとLの野球帽」の歌に託された思いと同じく、 和田投手に夢を託している、ということでした。
もときさん(KBCラジオ・パーソナリティ)も 以前おっしゃってました 自分がライオンズファンからホークスファンへと変わったのは、 愛してやまないライオンズが、西武へと移ったときに 子供心にたとえていうならば 大事にしていたおもちゃを失ったような悲しみだった だから、福岡の地にホークスという地元球団が誕生したとき、 「二度と大事なおもちゃを失いたくない!」と切に思った だから、僕はホークスファンになったんだと ラジオ番組で語っておられました。私は聞いていて胸が熱くなりました。何という、すばらしいロマンでしょうか。
今日の放送で村中ディレクターが 西鉄ライオンズが九州の野球文化に刻み込んだ伝統を熱く語られたのは、決して回顧とかノスタルジックな思いからではないな、と思って聞きました。 村中ディレクターの 和田投手に、地元球団を支える和田投手に、夢を託したいんだという熱い思いを感じました。
先日、KBCで スペシャル・トークバトル2007の公開放送収録があり、 そのときに村中ディレクターにごあいさつができたのですが、 大きくて、頼りがいがあって、あったかそうで、男らしくて・・・・そのお姿に感動しました。 帰りに握手をさせていただいたのですが、もう・・私も本気で村中ディレクターの手をギューーッと握り、村中ディレクターに感謝の思いを伝えました。 村中ディレクターの月刊ホークス(KBCテレビ)を観ると、よくわかるのですが、各選手の取材がすごく深いのです。その洞察力にはいつも感動しています。
今日の放送を聴いて、またひとつ、和田投手を支える人たちの存在のありがたさを感じてなりませんでした。
wrote all kasumipraise one anotger
|