極端なつぶやき
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2006年07月13日(木) |
たくさんたくさんいる人間の中の一人と一人 |
昨日、友達とメールでやりとりして、Zさんに変わって欲しいと思っていること、それは自分の力ではどうにもできないと頭ではわかっていながら、心では納得していないこと、だからもがき悩んでいることに気付く。
Zさん変われー Zさん興奮やめろー Zさん自分の意見ばっかり押し通すことやめろー と強く強く思っている私。 Zさんに怒っている私。
桃子さん(仮名)のことを思い出す。 桃子さんも人と自分の違いを受け入れられない人。 私が桃子さんと違う意見を言うと、興奮して反論してくるか、瞬間フリーズして心のシャッターをピシャリと閉める人。 でも、桃子さんのことはZさんほど嫌いじゃないし、怒りも感じていない。
どうしてだろう? 桃子さんとZさんの違いはなんだろう? と考えてみた。 桃子さんは、Zさんほどひどく興奮しない。 Zさんは興奮して私を責める感じだけど、桃子さんから責める感じはない。 桃子さんとは、たまにしか会わない。 桃子さんは、自分の気持ちが揺れているってことを自覚している。(無自覚の時もあるけど。)
一番違うのは、私の相手に対する態度。捉え方。 桃子さんが興奮しても、フリーズして心のシャッターをピシャリと閉めても、この人はこういう人だ、私の問題じゃなくてこの人の問題だって思えること。
桃子さんとは距離が取れている。 Zさんとは距離が取れていない。 これは、私の問題。
あと、Zさんは私にかまってかまって、私の話聞いて聞いてってくるけど、桃子さんはそれがない。 桃子さんは、最近会ってないから会いたいから会おうって言ってくれる。 自分がこうしたいって言い方をしてくれる。
桃子さんには、自分を見ている自分が(少しだけ)いる。 Zさんにはそれがない。 Zさんは、感情とそれを表現する言葉、態度に距離がない。 垂れ流し。
でも、それに巻き込まれるのは私の問題。
今日、通勤電車の中で日記の題名の言葉をつぶやく。 「たくさんたくさんいる人間の中の一人と一人」 この世界には、たくさんの人がいる。 この瞬間にも、世界中でたくさんの人が生まれて死んでいる。 世界は、物事はどんどん変化している。 その大きな大きな流れの中に私もZさんもいる。 お互い、いつか絶対死ぬ。
たくさんたくさんいる人間の中の一人と一人
しばらく、この言葉をつぶやいて、Zさんと距離を取ることを試みよう。
たくさんたくさんいる人間の中の一人と一人
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