極端なつぶやき
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2006年05月17日(水) |
パフォーマンスと私2 |
私は、怒鳴り声が得意です。 金切り声も得意です。 笑い声も得意です。 これを読んだ人は、怒鳴り声や金切り声、笑い声に上手、下手があるのか?と疑問に思うことでしょう。
「得意か?不得意か?」を考えるのは、私があるバンドに入っているからです。 そのバンドでは、声のいろいろな側面、可能性を追及します。 怒鳴り声もその一つです。 実際、やってみると分かりますが、人はそんなに笑ったり、怒鳴ったりできないものです。
昨日は、そのバンドの練習で力を抜いて、怒鳴り声を出すことをやってみました。 力を抜いた怒鳴り声ができた後、バンドの主宰者の人に「それもデ○声の一種なんだよ。」と言われました。
小さい頃から怒鳴られてきた私が、怒鳴り声を表現方法として使えるようになる。しかも、力を抜いた怒鳴り声ができる。 これは、非常に感慨深いことです。
力を抜いた怒鳴り声。 私には、象徴的で新しい発見でした。
笑い声もそうです。 私の笑い声は、すごいパワーを放出しているらしいのですが(意識して笑ってないので、よくわからず)、それは私が恐怖を放出する必要があったところから来ています。 人は、恐怖を放出しようとして笑います。 笑って、その恐怖を捨て去ろうとします。 (怖い時の対処法としては、あと震えるなどあります。) ※どうして、私が断言できるか?というと、カウンセリングの勉強をしたからです。
私の笑い声がすごいのは、私が恐怖を笑って、乗り切ってきたからです。 それが、表現として認められるということは感慨深いことです。
アサーティブトレーニング(自己主張のトレーニング)を8、9年受けてきましたが、4月で一旦終了となりました。
一緒に受講した方が、私が出演した声表現の舞台を見にきてくれて、私の笑い声のことが話題になりました。 その時、笑い声のパワーがすごかったという話になりました。
小さい頃から、自分の中で押さえつけてきた感情(特に怒りと恐怖)、それとどう付き合うか?が私の長い間の課題でした。 自分の中にある感情エネルギー。プラスにもマイナスにもなるエネルギー。そのコントロール。
パフォーマンスが成立するためには、エネルギー垂れ流しではいけません。 相手(他者)の存在を意識することが必要となってきます。 ※他者は自分の中にもいます。 そして、他者とどういう関係をつくるか?が問題になってきます。 さらに、自分や他人を信頼することが必要となってきます。
笑い声、怒鳴り声の話に戻りますが、それが垂れ流しでなく、表現として成立するには、相手が見えてないとダメなわけです。
私がパフォーマンスをやる、やりたい理由は、ここら辺にあると思います。 私にとっては、ボイスパフォーマンスは他者との関係作り場、実験場でもあるわけです。
でも、最終的には、過去にその人に何があったか?なんて関係ないです。 いいものはいいし、面白いものは面白い。 それだけです。
これからの課題は、照れずに真剣になることかな。 真剣に、集中しつつ、柔らかいままでいる。 難しいんだよね。
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