K馬日記
サリュウラヴケーマ号とバリトンサックスの『ウエエ、ウエエ』なわだち
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今日はあることを書かなければならないと思います。 この10ヶ月苦しみ続け、そしてつい最近僕が人間不信に陥った原因となったものです。 そしてようやく、遅すぎる厭世観を産みつけてくれた事柄でもあります。 僕の中には、死んでも他人に言いたくない2つの箱があり。 1つは人間的なもの、1つは思い出したくない思い出のことです。 この2つは思い出すだけで、はっきり言って自分が嫌になります。 胸の奥がむかむかっとして、どうしようもならない気持ちになります。 でも、絶対に言いたくないのがその2つのことなのです。 そして今回書かなければならないことというのは。 何度寝ても忘れることが出来ないのです。 起きてから今まで、そしてこれからも、恐らく永遠に翳りを落とし続けるものなのです。 言うつもりはなかったですが。 ヴァイツゼッカー曰く、「過去に目を閉ざす者は未来に対しても盲目となる」とのことで。 過去から逃げるものは将来同じ過ちを犯すとのことでありまして。 それだけは絶対に回避しなければならないので。 ここに書こうと思った次第であります。 そのこととは、自分が死なせてしまった友だちについてです。 もちろん生物的な死ではなく、没人間性という意味での哲学的な死です。 それまで自分は常に6人で行動していました。 およそ10ヶ月前、ある日を境に自分の交友関係が崩れてしまいました。 今考えてみれば、自分にとってはホントに些細なことです。 当時一番仲の良かった(と自分では思ってる)友だちが遠のいてしまったのです。 そこからが僕の苦悩の始めでした。 まず自分が何をしたかというと、自分のことしか考えられてなかったのです。 自分だけの信頼は取り返さないといけないと思いました。 それこそ不自然なくらいに、話しかけてたかもしれません。 あのときなんで、仲介役として動かなかったのか。 それを何度後悔したかわかりません。 季節の変わり目の不眠症で、なかなか眠れない日は、必ずそのことを思い出します。 そして、その度に胸が強く締め付けられるのです。 彼の人間性が没さないで、享受していたであろう楽しみが、壊れるのをみすみす見過ごしたのは僕なのです。 それからは償いではないけれど、どうしたら良いのか考えました。
ある程度信頼を置いていた友だちに話したこともあります。 ただその時、お前のやってることは偽善だ、自己満足に過ぎない。 と、言われました。 その頃から丁度、厭世観が芽生えてきたかもしれません。 別に偽善をどうこうは思いません。 性悪説に立てば、それこそすべてが偽善なのですから。 ただ、自己満足は決してしていませんでした。 常に、償いがまだ足りないと思い続けていました。 明くる日そいつに、この日記に絡めたことで「信頼してる人って誰?」と聞かれたことがあります。 「誰だって良いじゃん。」とはぐらかしましたが。 心の中で「昔はお前だったんだよ。」と思ったのも記憶に新しいところです。
そしてそのまま。 演奏会も過ぎ、いよいよコンクルの練習へと移ります。 それまでずっと、自分は少数派になるのが怖かったのです。 その頃、自分はその日を過ごすので精一杯でした。 コンクルが近づくにつれて、自分の周りが虎のようになっていくのを感じていたのです。 そして、コンクル本番が終わり。 ヘラでの、送別会で。 僕はようやくそのことについて、涙ながらに打ち明けたのです。 自分はそのことでずっと悩んでいたんだと。 それぞれが本音で話して、それを聞けて。 そのときはすっきりした気分で帰りました。 でも後々良く考えをめぐらしてみると。 もう自分はあの輪の中には居られないなと思うようになりました。 砂漠の中に取り残された心地がしました。 遊びの誘いも一度は断ったのもこれが原因なのです。 それでも受諾したのは。 孤立するのが嫌だったから。 自分は人を孤立させておいて、なんて身勝手なことでしょうか。 結局のところ自分が一番かわいかったのです。 そして至った考えが。 奔走してたのは自分だけだったらどうしよう。 という逃げの考えでした。 既にお互いがお互いの道を進んでいる。 もう何が何だかわかりませんでした。 ただ、申し訳ない気持ちでいっぱいなのは今でもそうです。 そしてこれからも。 恐らくは死ぬまでそうなのかもしれません。 この咎が許されることはないんだろうと思います。
この8月を通して。 僕は精神的に逆に豊かになってきた気がします。 色々勉強して、色々深く考えていくうちに。 ある1つの壁を突き抜けた気がします。 故にこの独白に至ったわけです。
サルトル曰く「人は自由という刑に処せられている」と。
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