K馬日記
サリュウラヴケーマ号とバリトンサックスの『ウエエ、ウエエ』なわだち
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戦争のことを思うと。 最近、胸が塞がります。 たとえば、実際の戦争の映像で。 どんどん人が殺されていく。 拳銃で頭を撃ち抜くとあっけなく人は死んでしまう。 その人が体験するはずだった幸福が。 苦しみの中でも得られたわずかな幸福が。 一瞬で無くなる。 それまで生きてきた人生の意味が。 一瞬で奪われる。 それを自分に投影してしまうんだよ。 例えば、目隠しをされて、ひざまずかされ。 後ろから頭を撃ち抜く、処刑の列に自分が並んでるとして。 徐々にその死刑の順番が迫ってくる。 どういう気持ちなんだろう。 もし自分の大切な人がそういう死に方をしたとしたら。 胸が痛んでしょうがない。 でも現実にそれが起こった人はいたわけです。 自分や自分の大切な人が、まるでそれまでの生活が無意味であったかのようにこの世を去る。 そういうことを考えると。 自分も幸せになったらいけない気がします。 偽善とか思われるだろうけど。 こういうときはこっちがおかしいので確かにその指摘で良いと思います。 自然現象での悲劇はさけられないにしても。 戦争での悲劇はどうしてもさけたいものです。
苦しみの中でも得られたわずかな幸福が大事なんだよ。 苦しむことなく大きな幸福を求めようとするのは、なんとおこがましいことでしょうか。 戦時に散った命が受けるべきだったわずかな幸せの塊を。 すこしずつ拾っていくのが、戦後生まれた私たちのつとめなのです。
ぽのぉー。
多田K馬
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