The あぽ家
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もしも・・我が子が「苛め」られていたとしたら
あたしはきっと祈るだろう そればっかだなぁ、(−−;)
愛しいあの子が、もう苛められませんように (哀願)
愛しいあの子が、もう苛められても負けませんように (祈願)
愛しいあの子を、苛める奴に天罰を (悲願)
愛しいあの子を、苛めから守られますように (他力本願)
愛しいあの子が、苛め返してやれますように (念願)←おいっ!
子を想う親心は美しくも切ないものだ。
それは何も「子」ばかりではないだろう。
愛する者を想って祈る時、その崇高な姿にも「人柄」が出るのかもしれない。
自分が正しいと信じる祈りが相手が望んでいる結果では無い事もあるだろう。
相方の幸せを祈る時
「あの子が幸せであることがわたしの望みです」と祈ろう。
祈りはいつも一人称の物語であるべきだ!と感じる出来事があった。
人の気も知らんと、あんにゃろめは(怒)
おっと、いかんいかん・・・。
相手を思って祈った想いはあくまでわたしの物語でした。
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やっぱ、むかつくぅ(笑)
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