| 2009年10月26日(月) |
「7つの習慣」読む 落語会へ行く |
「7つの習慣」〜第七章〜の途中まで読む。
落語会へ行く。
落語をライブで聴くのは久しぶり。気がつけば何年ぶり?という勘定だ。
だけど全然違和感はない。
今では真打になっているこの落語家さんの
二つ目の頃の落語会もちょくちょく見に行っていたから
その時の感情がたぶん現在まで一本の糸でつながっているからだ。
おっ、さすがに二つ目の頃に比べたら貫禄がついてる。
デジャブじゃないけど、同じ懐かしいのでも
会って然るべき人と会ってるっていう、そんな感じがした。
落語会を見終えたあと、ある事に気がついた。
本日の落語会は、まずお弟子さんの前座の落語が一席。
そして真打の落語家さんの落語一席のあと中入り。
そしてもう一席、という進行だった。
前座さんの落語は、上手いとは思わなかったし、そんなに笑えなかった。
しかし、さすが真打。枕話、落語の話術に引き込まれてよく笑った。
ところが、である。
真打の落語があんまり印象に残っていないのである。
むしろ、前座さんの落語の印象の方がクリアに残っているのである。
真打の落語家さんの落語は面白かった。引き込まれもした。
だけど、全体の印象が何かごっちゃになってるのだ。
すばらしいご馳走が並びすぎて、変化を感じられなかったのだろうか?
うちにある「上方落語家名鑑」で噺を確認。
落語の噺の知識が増えたり、落語会に足を運ぶ機会が増えると
受け止め方が違ってくるのかなあとも思うのだが。
自分でも意外だった。
桂米朝の未聴の落語のCDを聴く。
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