ここでは、私の名前は「黎子」となっています。 プロフィールの方にありますけれど、本名は「れい子」です。 私は芸名を持ちませんけれど、どうしても「黎子」としたかったのにはわけがあります。 私は9月生まれですけれど、ちょうど「黎明」と言われる時間に生まれました。 父は「黎子」と届けを出そうとしましたが、当時、人名に「黎」という字が使えませんでした。 「ほかの字を当てるくらいならひらがなが良い」という、頑固な父のおかげで、私の本名は「れい子」です。 ひらがなの名前も柔らかくて好きですけれど、「黎」という字もとても好きです。 だから、ここでは「黎子」にして、両方の名前を使う機会を作った、と言うわけです。 (現在「黎」の字は人名に使うことが出来ます。役所に届けを出せば、私の名前も変えることができます。)
ほかの三人には芸名があります。 サイトでは(いろいろな事情で)紹介していませんけれど、賢太郎などもう一つ芸名を持っているのです(笑) 芸名の付け方にも、いろいろあるようですね。
一中節では、女性には頭に「一」の文字を、男性には終わりに「中」の文字をつけることに決まっているそうです。 一中節の家元は「都 一中」ですから、女性でも家元になることが出来ますね。(先代の家元は女性だったそうです。) 福原流では、名前の部分に本名を持ってくることも多いです。 けれど、家元の名前が「百之助」ですので、名前の頭に「百」の文字をつける方も多くいらっしゃいます。
上記のような芸名を名乗ることを許可するのは家元です。 たいていの場合、「お名取り式」があります。 新名取りの発表会などがある場合もあります。 お名取り式では、名前の書いてある札(名取り札)をいただきます。
ところが、です。 賢太郎は正式に「福原賢太郎」を名乗ることが許されていないらしいです。 なぜならば・・・祖父が家元なので、プロとして活動し始めるときに「あ〜、名前ねぇ・・・福原賢太郎でいいんじゃない?」と言われたとか。 だから彼は、「名取り札」を持っていません。 業界の中でお話を聞くと、家元と血縁関係にある方で「名取り札」を持っている人は少ないようです。 了中君は、ちゃんと持ってるんじゃないかな・・・と思いますけれど、見せてもらったことはありません。(今度見せてもらおう)
名取りになると言うことは大変なことです。 でも、私も頑張って、いつか「福原某」などの名前をいただきたいなぁ、と思っています。
あ、最後にお詫びです。 悠里ちゃんの業界は、こちらとは全然違いますので、今日の日記には書いていません。あしからず。
それから・・・どうも日記らしくないですね。 コラムのネタにすれば良かったと、ちょっと後悔しています^^;
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