月に舞う桜
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2020年08月22日(土) |
名称を知らず、気にせずにいられるというマジョリティの特権 |
何らかの調査で性的指向を聞くときに、異性愛者が異性愛の選択肢を選んでくれない、というツイートを読んだ。 私はバリバリの異性愛者だけど、これには驚愕した。 異性愛者であることが当たり前すぎて、自分の性的指向について考えたこともないということだろうか。 異性愛者であると自覚する必要も、「異性愛者」と名付けられている存在として自分を認識する必要もなく生きられるのは、マジョリティである異性愛者の特権だ。
マジョリティの特権とは、自分の属性を気にせずに生きていけるということ。
マジョリティは、自分たちの存在や暮らし方を当たり前と考えるので、そこに何らかの“名付け”がされているとは思いもしなかったり、自分たちに関する名称を知らずに生きていける。 名称は、マイノリティにだけ与えられ(ていると思われ)がちだ。そして、マジョリティは、本当は自分たちにも名称が与えられていることを自覚せず、自分たちが一方的にマイノリティを名付けてもよいと思い込む。 それで、名称のスティグマ化は加速する。 私たちは、自分がマジョリティである事柄に関する名称を、自覚しないといけない。
私がこのことに気付いたのは、弱視の同僚に「墨字」という言葉を教わったときだ。 それまで、私は、「点字」と対をなす「墨字」という言葉を知らなかった。自分たち晴眼者が使っている文字に、そのような名称があることを知らなかった。
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