月に舞う桜
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夜、江國香織の小説を読む。
テレビからは、新型コロナウイルス感染者が増え続けている、医療は崩壊寸前、今日は死亡者が何名、保育も介護もとにかくあらゆる現場が逼迫、疲弊している……というニュースが聞こえてくる。
江國香織の小説には、疫病も戦争も、(あからさまな)差別もない。ただ、常に薄らとした、あるいは濃い、かなしみがある。圧倒的な幸福の中にも薄い膜のようなかなしみが漂い、途方もないかなしみの中にも、ほのかな幸福がある。
私は、小説の世界に漂うかなしみに侵食されてゆく。積極的に、侵食される。テレビから流れ聞こえるかなしみに侵食されないようにするために。現実のかなしみから、自分を守るために。
そうしていると、次第に、現実と江國香織の世界の境界が曖昧になる。もしかすると私は小説の世界を生きていて、テレビの中のかなしみのほうがフィクションなのではと錯覚する。
それは錯覚なのだと理解しつつ、かなしみに侵食されてゆく。
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