月に舞う桜

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2019年01月10日(木) 中華街にて、義務教育とか子供の格差とかを考える。

先日、数年ぶりに中華街へ行った。
感動するほどおいしいわけではないけれども、複数の料理を少しずつ食べられるのが、食べ放題の良いところ!

就学前の子供がいる友達から、ランドセルがものすごく高いという話を聞いて、義務教育(の無償)って何なのだろうかと考えてしまった。
授業料がタダでも、子ども一人を小学校、中学校に通わせるのにお金がかかりすぎやしないか? ランドセルだけじゃなく、算数セットやら習字セットやら絵の具セットやら制服やら、いろいろと。
見直すべき風習や社会システムはいろいろあって、例えばランドセルもそのうちの一つではないかと思う。
経済的合理性や子どもの負担減の意味でも、「小学生はランドセルが当たり前」はもうやめたらいいのに。

多くの場合、「これじゃなきゃダメ」というのは基本的におかしい(合理的な説明がつかない)のだけれど、「これじゃなきゃダメ」が長く続いてきた社会で急に「何でもいいですよ」と言うだけでは、なかなか「これじゃなきゃ」は解消されない。
かと言って、別のものを推奨すると、今度はそればかりになって結局同じことの繰り返しだったり。
同質性を求めて一つのものにわーっと群がる傾向や同調圧力は、いろんな場面で大きな弊害を生み出していると思うのよね。

それから、友達の「子どもと○○に行った」という話から、子どもを遊びにつれて行くのもお金がかかるよねえとしみじみ思い、この記事↓を思い出した。

●「大学生を見たことがない」子どもたち…日本が抱える貧困問題
https://media.moneyforward.com/articles/2291

貧困家庭の子どもは、教育にお金をかけてもらえないだけでなく、楽しいと感じる体験や文化的体験、他者とのつながりを感じられる体験に乏しく、孤立感を深めやすいし、いろいろなことを諦めてしまう。
衣食住や教育が最低限保障されるべきなのはもちろん、「楽しい」と思える体験も、生きていくうえですごく大事なんだなあ。
だから、友達から「子どもと○○に行った」(←遊び)という話を聞くと、良かったねえと嬉しくなる。

記事の続編↓に「貧困家庭を圧迫する"学校指定"」という話も出てきて、「ああ、ランドセルで感じたことだわ」となった。

●「低所得・低学力の子どもは怠け者」のウソ
https://media.moneyforward.com/articles/2305


桜井弓月 |TwitterFacebook


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