月に舞う桜
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昨日の日記の続きと言うか、あれからまた考えたのだけど。
マジョリティに合わせて作られたこの社会で、障害者が直面している障害は、障害者の側ではなく社会の側に存在する。 その社会構造において、感動を前提とした演出のもと「頑張る障害者を見て感動する」ことは、「健常者になろうとする障害者への賛美」という側面があるのではないか。
努力して壁を乗り越えようとすることが個人の生き方の範疇であれば、それはもちろん尊重されるべきことだ。 でも、マジョリティおよび社会の側が、健常者になろうとする努力を障害者に強いてはならないし、そういう空気を醸成してはならない。 障害者は健常者にならなくてもいいし、障害者が健常者にならなくても権利が保障される社会でなければならない。 健常者にならなければ権利が十全に保障されないことこそが、この社会にある障害だが、「頑張る障害者を見て感動」という構図は、その障害を隠蔽することに一役買っているのではないだろうか。
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