月に舞う桜
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2018年07月13日(金) |
「真相が解明されていない」の「真相」とは何についての真相か |
オウム真理教の事件をずっと追ってきたジャーナリスト江川紹子氏の記事を二つシェアしつつ、いま、私が思うことを。
オウム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)と実行犯6名の死刑が執行されたことを受け、「真相が解明されていない」と言う人たちがいる。 オウム事件の真相が解明されていないと思っている人は、自分がどういった意味での「真相」を念頭に置いているのか、自分の中で明確にしておいたほうがいいと思う。
例えば、
・事件の計画から実行までの過程 ・教祖の動機 ・信者側の動機 ・信者が洗脳・マインドコントロールされる過程と心理変化 ・教祖の背景と心理 ・オウムがカルト化、凶悪化した過程 ・二つのサリン事件や坂本弁護士一家殺害事件などの大きな事件の陰に隠れてあまり注目されていない事件の真相 ・井上元死刑囚は死刑と無期懲役のどちらが相当であったか(井上元死刑囚は再審請求中の死刑執行だった) ・当時の捜査(特に坂本弁護士一家殺害事件に関し)は適切であったか
「真相」と言って私がざっと思いつくだけでも、これぐらいある。
これだけ大きな事件、大きな出来事なので、視点や論点が多岐に渡るけれど、こういった別々の事柄を全部いっしょくたに考えて「真相が解明されていない」とするのは乱暴だし、問題の本質が見えなくなって危険だ。かえって真相から目を背けることでもあると思う。 また、7名が一斉に死刑執行されたことと死刑制度そのものの是非は別問題だし、「7名の死刑執行が事前にリークされていたのかどうか」と「死刑報道がショーにされたのか」もまったくの別問題だ。
さらに、今回の死刑執行の是非については教祖と弟子6名を分けて考えるべきだし、オウム事件を語るとき、文脈によっては「オウム真理教」を主語にするのは適切でない場合もあり、やはり、教祖と信者を分けて考えるべきだと思う。 教祖と信者は、表面的には同じ方向を向いていたとしても、洗脳・マインドコントロールする側とされる側では思考や心理が全く異なるから。 そういう点を無視して、いろいろなことをいっしょくたにするのは、カルトを社会問題として考えるときに危険だ。
死刑執行後の、江川氏の記事。
●オウム事件死刑執行、その正当性と今後の課題を考える https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20180708-00088579/
裁判を傍聴し続けた人の言葉は重みがあり、具体的だ。麻原彰晃が弟子の法廷でどのような態度を取り、どのような発言をしたかが書かれている。
そして
「これで、オウム事件の死刑囚は6人となった。報道によれば、法務省は今後、順次執行していく、という。しかし、彼らはカルトによる未曾有のテロ事件の生き証人である。その彼らを何ら調査研究に活用する機会を永遠に失ってよいのだろうか。死刑囚の多くは、オウムに入る以前は、ごく普通の、あるいはとてもまじめな若者たちだった。(中略)オウム事件の最大の教訓は、人の心は案外脆い、ということだ。どんな人であっても、タイミングや条件が合ってしまうと、思いの外簡単にカルトに引き込まれてしまう。だからこそ、その心の支配の仕組みはもっと研究されるべきだし、カルトの怖さやその手口を若い人たちに教えていく必要がある。そのためにも、オウム事件では何があったのか、事実をしっかり伝えていかなければならない。」
これには心から同意する。 日本に死刑制度があり、彼らがあれだけ甚大な被害を引き起こして死刑判決を受けた以上、いつかは死刑が執行される。それは免れない。 でも、法的な解明と刑の執行とは別に、社会学や心理学、教育など様々な分野において彼らは貴重な研究対象となり得たはずだ。国は、彼ら自身のためではなく社会のために、彼らに法廷での証言とは異なる意味合い、異なる角度でも語らせるべきだったし、今後のカルト対策やテロ対策のために彼らをもっと利用すべきだった。
記事の最後にある 「高校のカリキュラムの中で、カルトの怖さ、問題点、そこから身を守るための注意事項など、オウム事件を知らない若い世代に情報として伝えるようにして欲しいと思う。」 には、半分同意で、半分反対だ。 カルトに取り込まれないための教育は、小学校から必要では?
●彼はどのようにして地下鉄サリンの実行犯になったか https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20170320-00068863/
こちらは、去年の3月20日(地下鉄サリン事件から22年目)の記事。 信者たちの心理、麻原彰晃のどこに惹かれたのか……特に広瀬死刑囚にスポットを当て、入信のきっかけやオウムにはまり込んで凶悪事件を起こすまでの過程が書かれている。カルト問題を考える際に重要な記事だと感じた。
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