月に舞う桜

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2017年02月23日(木) かりんとうと寒さと、自由の天秤

現在失業手当をもらっているため、定期的にハローワークへ行っている。
管轄のハローワークは駅から遠いので寒い日は特に気持ちが萎えてしまうけれど、失業認定日(ハローワークへ行かなければならない日)はあらかじめ決められているので、行く日を勝手に変えることはできない。「今日はものすごく寒いし風も強いから行くのをやめよう」というわけにはいかないのである。
ハローワークと最寄駅の間に、お気に入りのかりんとう屋さんがある。そこで、私はいつも「かりんとうを買いに行くついでにハローワークに行くんだ」と自分に言い聞かせて、気持ちを奮い立たせている。

私が小さい頃、母がよく黒糖かりんとうを食べていた。私は黒糖があまり好きではない。かりんとうと言えば黒糖しか知らなかった幼い私は、かりんとうを「苦手なもの」に分類してしまっていた。
大きくなるにつれて、黒糖だけではなくいろいろな種類のかりんとうがあるのだと知り、好きな味を探しては食べるようになった。
成長するということ、大人になるということは、親の影響下から抜け出て、世界を無限に広げるということだ。そして、自分で選択し、自分が好きなものを、自分の責任において食べられるということだ。

前回ハローワークに行った日も、風が冷たくてとても寒かった。
寒い日は、いつも以上に体が動きづらくなる。分厚いダウンコートを着込んでもこもこになっていれば、なおのこと。
体が動きづらいと、何をするにも時間がかかる。ハローワークの窓口に提出する書類をバッグから引っ張り出すのも、受け取った書類をしまうのも、買い物のときに財布からお金を出すのも。
例えば、列に並んで自分の番になって初めて書類をもたもた引っ張り出していたのでは、受付の人や後ろにずらりと並んでいる人たちの迷惑になるから、あらかじめ隅っこで書類を準備してから列に並ぶことにしている。
例えば、買い物して商品とレシートとお釣りを受け取ったとき、それらを膝に乗せたまま邪魔にならないところへ移動してから、ゆっくりしまうことにしている。
周囲に配慮や寛容を求めるなら、自分も周囲になるべく迷惑をかけないよう、できる範囲で配慮するべきだ。健常者とか障害者とか関係なく、社会の一員として。
それに、「周りの人が迷惑に思って内心舌打ちしてるのでは?」と思うと焦ってしまって余計に動作がおぼつかなくなることも多いので、自分で自分にプレッシャーをかけないために、自分のペースで動ける状況を作ることが大事なのだ。

(脳性麻痺の主症状には筋肉の緊張があって、精神的なことも筋緊張の度合いに大きく影響する。)

自分でもたもた動いていると、「生きていくって、時間がかかるなあ」とげんなりしてしまうこともあるけれど、そのときそのときで自分が何を優先したいのか、なのだと思う。私はいつも、自由と時間と労苦を天秤にかける。
外出のとき家族やヘルパーさんが隣にいれば、物事はもっとスムーズに進むし、楽なのだ。でも、どうにか自分一人でやれるとき、時間をかけることが許されているときは、人に気兼ねせず独りで気ままに出かけられる自由を選ぶ。
ハローワークの窓口の人や店員さんだって多少のことは手助けしてくれるけれど、ほんのちょっとしたこと――次にバッグから出すときに出しやすいように、自分好みの場所と向きで財布をしまいたい、とか――を自分の思い通りにするためには、やっぱり自分でやった方がストレスにならない。人にものを頼むのは、楽ができる反面、とても面倒なことでもある。もちろん、手を貸してくれるのはありがたいことだけれど。

寒さで体が動きづらくても、生きていくのに時間がかかっても、独りで出かけられる自由は貴重で手放せない。
自分で好きなお店に行って自分で好きなものを選んで、そうやって手に入れたかりんとうが期待したほどには美味しくなくても、それもまた自由の醍醐味なのだ。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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