月に舞う桜

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2016年07月10日(日) 3回まわって、ワン!

気が付くと、7月ももう三分の一が終わっている。
早いなぁ、早すぎだ!……って、毎月同じことを言ってるけど(汗)。
そして、今年は猛暑になるのも早い気がする。かと思えば、妙に風が涼しい日もあったりして、体がついていかない。


6/19は、36歳の誕生日で、以前も行ったことのある天ぷら屋さんへ。

天ぷらばかりだとすぐお腹いっぱいになるのに、今まではつい頼みすぎて後悔してきたし、前の日がかなり暑くて体調を少し崩していたこともあって、今回は少なめに注文した。
それでも、結構満腹になった。
このお店はえびかき揚げ丼がおいしい。特に、タレ! しっかり味がついているものの、濃すぎなくてちょうどいい。それから、かき揚げとご飯の量のバランスも、ほどよい。

そんなわけで、36歳になった。
干支が3回まわった。


36歳になる10日ほど前、用があって、出身大学のキャンパスがある駅で降りた。
そのキャンパスには、立派なイチョウ並木がある。駅を出るとすぐ目の前に大学があり、大学の入り口から一番奥の講堂へ向かう道の両側に、立派なイチョウの木が並んでいる。
この季節は濃い緑の葉がふんだんに茂っていて、壮大な眺めだった。
私は、しばしそのイチョウ並木に見とれて、不意に涙ぐんでしまった。

そのキャンパスには、大学1,2年生が通っている。若いエネルギッシュな空気と、天に向かって勢いよく広がった緑の葉は見事にマッチしていた。
駅前では、その大学の学生だろうか、一人の男の子がギター片手に弾き語りを披露していた。その姿も、たぶん、私を刺激した。

私の目の前に広がっていたものは、一言で言えば「若さ」だった。

若さ。もう二度と戻れない日々。あの日々に置いてきてしまった、いろいろなもの。

置いてきてしまったものより、そのあと手に入れたもののほうがはるかに多くて大きいのに、日々が過ぎ去ってしまったことに取り返しのつかなさを感じている。

私は、大筋では自分の人生に後悔していない。
けれども、あの頃に二度と戻れないという事実は、ときどき私を軽く打ちのめす。心の片隅に小さな痛みを伴って、呆然と立ち尽くすしかない。

それと同時に、そこが私にとってとても大切な場所なんだと気付かされて、誇らしくもあった。
私が在籍していた学部は、そのキャンパスには1年しか通わない。あとの3年間は、別のキャンパスで過ごした。にもかかわらず、あの見事なイチョウ並木とそれを取り巻く諸々には、自覚していた以上に思い入れがあるらしい。

懐かしい場所。私に、二度と戻れない日々を思い出させてくれる場所。自由な空間。
まだ、干支を2回もまわっていなかったあの頃の私を、温かく迎え入れてくれた場所。

無知で世間知らずで甘くて傷つきやすくて独りよがりで、けれど、あの頃の私には若さがあった。


先日WOWOWで、ONE OK ROCKのライブを初めて観た。
Takaの声と歌のうまさに惚れて、ONE OK ROCKにハマりつつある。
彼の声は変に目立ち過ぎず、音によく馴染んで調和がとれている。それでいて、切なげな語尾の出し方と無理を感じさせない発声と、ネイティブかと思うような英語詞の発音は、存在感が際立っている。
そんなことを改めて感じたライブだったけれど、Takaの声質の良さと同じくらい印象的だったのは、彼らの若さだ。

歌いながら、あるいはギターを弾きながら、飛び跳ねる飛び跳ねる。
曲中、ステージ上に用意された台の上にいとも簡単にジャンプする。そしてまた、台からステージに飛び降りる。
何と若く、力強いバネ。その姿はみずみずしく軽やかで、まぶしかった。
年を重ねてもエネルギーが衰えないアーティストもたくさんいるけれど、やはり若者の弾けるエネルギーは全然次元が違うのだ。
疲れも重力も、もろともしない(ように見える)。

若さは、それだけで大きな強みだ。それだけで、素晴らしい。
他のどんなマイナス要素――例えば、狭い世界観や世間知らずや甘さや独りよがり――を全部合わせたとしても、帳消しにならないほどの強い輝き。
それが、「若さ」だ。 うんと後になってから気付く、掛け替えのないもの。

そして、若さとは、可能性だ。
もちろん、36歳の私にも多くの可能性はあるわけだけど、年若い人たちが秘めている無限の可能性には太刀打ちできないように思う。


年長者ができることは何だろう。
その一つは、自分より若い人たちに希望を見せることじゃないだろうか。
それも、無責任で絵空事の希望ではなく、現実的な希望を。

ついこの前、ある駅で電車に乗るとき電車とホームの間にスロープを渡してくれたのは、女性の駅員さんだった。
電車には3,4人の女子中学生らしきグループが乗っていて、駅員さんを見て「女の人だったね。いいね。かっこいいね」と口々に言い合っていた。

今の時代、まだまだ男性が圧倒的に多いとは言え、女性の駅員も珍しくなくなった。けれど、私が子供の頃はめったに見かけなかった。
先人たちの努力や社会の理解が時代を作り、流れを変えてきた。

あの女性の駅員さんは、その存在自体で、女子たちに希望を与えた。
数年後、女子たちが一人前の女性になる頃は、今よりもっともっと女性が(もちろん男性も)いろんな業種・職種で働きやすくなっているといい。そういう時代にしなければいけない。

女子たちよ、制服のスカートをうんと短くするのは、ほんの短い期間しかできないことだから、やりたければ自己責任でやったらいいよ。
でもね、前と後ろで長さが違うのは、みっともないから直したほうがいい。
あれは、スカートのウエスト部分を折って長さを調整するとき、きれいにできなかったんだな。

……なんてことを、干支が3回まわったおねえさん(決しておばさんとは言わない!)は思ったわけですよ。


さあて、4周目は、いったいどんなことが待っているんだろう。
どんな日々にするのも、私次第。
若さはどこかに置いてきてしまったけれど、若くはないからこその可能性っていうものも、きっとあるんでしょう?


桜井弓月 |TwitterFacebook


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