月に舞う桜
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1/7〜1/10に、某レストランでToshlのイベントがある。 数年前にも、そのレストランでイベントが行われた。当時、車椅子でも入れるかどうかをチケット応募の前にレストランへ問い合わせたところ、「入口に段差があります」とのことだった。それで、私はイベント参加を諦めたのだった。 お願いすればスタッフが手伝ってくれたかもしれないけれど、そのさらにひとつ前にあった別会場でのイベントで、雨の中、車椅子を持ち上げて階段を上り下りしてもらわなければならなかったので、もうToshlのスタッフに迷惑かけるわけにいかないな、という思いが強かった。正直、車椅子を持ち上げてもらうのは怖い、というのもあるし。 今回、会場がそのレストランだと知ったとき、すんなり諦めた。そのとき、私の中では「行けない」という我慢ではなく、「行かない」という「選択」だった。
でも、今日になって、「行けない」という事実が急にのしかかってきて、自分の中でどうにも処理できなくなってしまった。朝から気持ちがあまりパッとしなかったこともあって、夜にはどんより涙ぐんでしまった。 経済的な理由、仕事の都合、家庭の事情など、人それぞれ行けない理由を抱えながらも、みんな自分の気持ちに折り合いをつけている。それは、分かっているんだ。 私も、過去、チケットが取れても直前に体調不良になって行けなくなったこともある。去年の10月、ちょうどToshlのお誕生日には大阪でイベントがあったけれど、独りで大阪へ行って独りで宿泊することはできないから、行けなくて残念な気持ちはありつつも、悔しさやかなしさは全然感じなかった。 だいたい、XJAPANのライブに4日連続で行って、Toshlのディナーショーやソロライブにも行ってるんだから、運と環境にかなり恵まれている。それも、分かっている。 でも、「段差があって行けない」のは、それ以外の理由と同次元では考えられないんだな。 私は私の人生を生きてもう35年も経つのに、己の人生について回る「段差という、ばかでかい壁」を受け入れられないときが、いまだにある。
Toshlは、以前から痛めていた足腰をさらに悪化させてしまったようだ。去年のツアー日程が非常にタイトだったことが、悪化の要因なんじゃないかと思う。長距離を歩くと足が痛くなってしまうので、移動には車椅子を使っている、と先日のニコ生でも言っていた。ツアーの大阪公演以後、車椅子に座った姿がインスタグラムに何度かアップされていて、そりゃあもう心配で気をもんだものだ。 ニコ生では、「車椅子移動してみて分かったけど、たった一段でも本当に大変なんだよね」とも言っていた。実感を込めてそう言ってくれたことが、とても嬉しかった。同じ想いを共有して、運命共同体以上の同士になれたような、精神的に近いところにいられるような気がした。 だけど、嬉しい半面、Toshlは「たった一段の大変さ」なんて分からなくたっていい、とも強く思う。Toshlは、そんなこと経験しなくていいから、痛い思いはしないでほしいし、車椅子なんて必要のない生活をしてほしい。世の中、実際に経験してみなければ分からないことは山ほどあるけけれど、大切な人には経験してほしくないことや「分からなくていいよ」って思うこともまた、たくさんある。
Toshlのあの12年間を想ったら、イベントの一度や二度、段差に阻まれたなんてどうってことないような気もする。 でもやっぱり、かなしい。
会いたいなあ、と思った。ただ、会いたい。 そう思ったとき、ふと冷静になった。 あれ? この感覚って、昔、恋人に急に会いたくなってどうしようもなくなったときと同じじゃない? いやいや、ちょっと待て。そんなはずない。だってToshlだよ? XJAPANのボーカリストである前に、15歳も年上のオッサンだよ? バツイチで、自己破産経験者だよ?(←それ言っちゃダメ) 私より肌がきれいで、私より女子力が高いんだよ? そもそも、私の恋愛対象になり得るのは、岡田准一とHEATHだけだからね!(いや、それもどうかと思う)
とにかく、「会いたいのに会いに行けない。嫌だぁ(涙)」となって、そんな自分は頭がどこかおかしくなっているに違いない、と思った。まあ、XJAPANにこれだけどっぷりのめり込んで「愛してる」と言って憚らない時点で、どっかおかしいんだろう。
悶々としながらベッドに入ったら、村上龍の小説「KYOKO」を思い出した。救いの神が降りてきた。 「好きな作家は?」と聞かれたら、江國香織や東野圭吾や湯本香樹実や太宰治を挙げるけれど、好きな小説リストには間違いなく「KYOKO」を入れる。 主人公キョウコは、幼いころに両親を事故で亡くしたのだけれど、在日米兵のホセに出会ってダンスを教わり、以後ダンスがキョウコを孤独から救ってくれた。キョウコにとって、ホセは「これさえあれば生きていける、と思えるもの」を教えてくれた人だった。大人になったキョウコは、ホセに「ありがとう」を言うためにアメリカへ行く。会ってみると、ホセは末期のエイズ患者だった。「故郷へ帰りたい」というホセの願いを叶えるため、キョウコはホセを車に乗せて彼の故郷(たしかキューバ)へ向かう……というのが「KYOKO」のあらすじだ。 渡米したキョウコがホセを探し出して会うまで、そして、死期が迫ったホセを連れてキューバへ向かう道程が小説の軸なのだけど、私にとっては「これさえあれば生きていける、と思えるもの」と、それを教えてくれた人、というのが強烈に印象的だった。ホセと、ダンス。人生において、これほどまでに大きな宝があるだろうか。私も、ホセとダンスに出会えるだろうか。出会えるといいな。「KYOKO」を読んだ当時、そう願っていた。
「KYOKO」を読んだのは、おそらくXJAPANに出会ったあとだ。だから、「KYOKO」を読んだときにはすでに、ホセにもダンスにも出会っていた。 「これさえあれば生きていける」と思ってしまった瞬間が、確かにあった。あの瞬間のことを、長い間ずっと忘れていたけれど。そのとき、私はとてつもない悔しさというか絶望感の中にいて、自室で嗚咽しながらXJAPANのCDを聴いていた。Toshlの声が部屋中に溢れて、あぁ、私は生きていける、と思った。XJAPANのファンになってしばらく経った頃だから、高校生のときだったかな。いつだったかは、詳しく覚えていない。
私にとって、Toshlはホセだ。 Toshlの歌声は、ダンスだ。 この声があれば生きていける、と、思ってしまった。
今までだって、それは心のどこかでちゃんと自覚していたと思うのだけれど、今夜やっと改めて認識できて、何だか大発見した気分だ。
あぁ、そうか。Toshlは、ホセだったんだな。 「これさえあれば生きていける、と思えるもの」を教えてくれた、のみならず、Toshl自身が、ダンスそのものでもあった。
それはあまりにも明確な事実で、1ミリも揺るがないくらい合点がいった。 良かった。私にも、ホセもダンスもちゃんと存在していた。
感謝と愛しさとで、涙が止まらなくなった。
やっぱり、会いたい、と思う。 会って、「ホセ!」って叫んで、抱きしめたい。そしたらきっと、「僕はホセじゃないからね。Toshlだからね」って、ドSな口調で言われるんだろうな。 「Toshlは私のホセなんだよ!」って伝えたいけど、それにはまず小説「KYOKO」の説明から始めなくちゃならないな。
私は、キョウコみたいになれるだろうか。 いざというとき、何も厭わずに、Toshlの願いを叶えてあげられるだろうか。 キョウコになれたらいいな。
今夜を救ってくれた村上龍にも、感謝したい。
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