月に舞う桜

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2011年03月07日(月) 分析の結果

※何やらごちゃごちゃ書いてますが、心配無用です。


3月は、物事に区切りがつく季節だ。

先週の金曜日、仕事が一段落した。だから、今日は久しぶりに有休を取っている。

それから、恋が終わった。要するにフラれたわけだ。
あー、これは3月に入ってからじゃなくて、まだギリギリ2月だったっけ。
思い返すと、これまでは別れたりフラれたりした後は、相手と会わずに済んだり、会うとしても近しい関係でいなくてよいケースばかりだった。
だけど、今回は違う。今後も変わらず関係を保って行かねばならず、しかもある意味かなり密接な関係なのだ。
以前は、恋が破綻したら、会いたいのに会えないのがつらいと思っていた。でも、会わなきゃいけない、話さなきゃいけない、良好な関係でいなくちゃいけないっていう状況のほうが実はしんどいんでは? と思った。

まあ、蓋を開けてみれば意外と元気で、普通に笑顔で会話しているんだけれど。こんなとき、自分の中にある役割意識の強さが助かる。

だけど、それでも、ときどき心が「ずん!」となる。それが失恋のせいなのか、仕事で疲れ切ってしまったからなのか、それとも家のことで心配事があるからなのかは分からない。たぶん、全部が絡み合っているんだろう。

ある日、会社からの帰り道で「ずん!」に襲われた。あまりにしんどいので、失恋は何でこんなにしんどいのかを考えてみた。道端で泣き喚くわけにはいかないから、自分の気持ちをそらすために、ちょっと他人事のつもりで分析してみたのだ。

その結果、「愛されていないこと」よりも、「希望がなくなってしまったこと」がかなしいんじゃないかと思った。
一緒にご飯を食べに行ったり遊びに行ったりは、もうできない。いや、できることはできるけれど、その先に私が望んでいたような関係性は、ない。
とても疲れているとき、取るに足らない会話で元気になってしまうようなことも、これからはもうない。
「もしかしたら……」が、全部消えてしまったのだ。たぶん、それが一番かなしい。
現状がどうのこうのと言うよりも、先を望めないことが、人をひどく落ち込ませる。

「希望がなくなってしまったこと」がかなしいなら、何か別の希望を見出せば元気が出るんだろう。
……なんてことが分かったところで、希望なんてすぐに見つかるわけじゃないけど。


人それぞれ、いわゆる「泣き歌」ってのがあると思う。
私の場合、

大塚愛「クムリウタ」
YUKI「Home Sweet Home」
Mr.Children「タガタメ」

が代表的な泣き歌だ。
上の2曲は着うたフルを携帯にダウンロードした。ついでにXの「Tears」も入れてみたけれど、実は「Tears」なんかより、「Silent Jealousy」のほうが泣ける。こんな私は変でしょうか。

いやー、それにしても「クムリウタ」は泣けて泣けてねえ。


心が広くて岡田くん似の人を探しなさい、と君は言う。
ばかだねえ。
岡田くんみたいな人がいたとしても、たぶんきっとただの観賞用だよ。本当に恋に落ちるわけじゃないんだよ。だいたい、あんなに恰好良い人が隣にいたら、落ち着かないし素の自分でいられないじゃない。
別に特別どこかが秀でてるわけじゃないのに、一緒にいたらなぜか楽しくて、素に近い自分でいられて、楽ちん。そんな人が、いいんだけどな。

ばかだねえ。


いや、岡田くんが目の前に現れたら、やっぱり一瞬で恋に落ちるかもしれない……って、テレビで「SP」観てたら思ったけどね。


私も、ばかだねえ。


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