月に舞う桜

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2011年02月17日(木) 嘘っぱちラブレター

例えば私が落ち込んでいるとき、そうとは知らない友人が不思議と偶然にも連絡をくれたりする。落ち込んでいることを打ち明けなくても、私はその連絡自体に救われる。
そういうとき、人と人とはつながり合って、きちんと関わり合って、確かな縁と絆の元に生きているんだと思える。


その一方で、ときどき人間はやっぱりひとりなんだなあ、と思うことがある。
誰かに裏切られたわけじゃないし、疎んじられたわけでもない。ただ、「結局はひとりなのだ」と強烈に認識する。
楽しいことは他人と分かち合える。悲しいことも、分かち合ってくれる人はいる。
けれど、孤独は分かち合えない。

ならばいっそ、すべてを投げ捨ててどこかに行ってしまいたい、と思う。
煩わしいことは知らん顔して、消えてしまいたい。

だけど、そんなふうに思う時こそ、本当は繋がりを求めているのかもしれない。
すべてを捨ててここから消え去ったあとのイメージは、君の傍らでまどろんでいる私の姿だから。


「君がいれば、それでいい」なんてことは思わない。
家族も必要。友達も必要。仕事も必要。Xや他の音楽も必要。素敵な洋服やバッグも必要。
君がいなくても、そういう他の大切な人や物に囲まれていれば十分生きていける。
それなのに、衝動的に「君がいれば、まあいっか」と思いそうになる。


ミスチルの歌みたいに愛されたい。
あんなふうに愛してくれたら、Coccoの歌みたいに愛してあげる。
そうして、すべてを投げ捨ててどこかへ行って、そのままどんどん堕ちて行きましょう。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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