月に舞う桜
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長いこと日記をさぼっている間に、7月になってしまった。
6月19日、私は29歳になった。20代でいられるのも、あと1年になってしまった。 この日は金曜日で、仕事が終わってから仲の良い人たちと同僚宅にお邪魔してピザを食べ、hideのライブDVDを観た。 家主である同僚は、いまの会社に就職する前、CDショップを経営していた。そのとき売れ残ったDVDが未開封のまま手元に残っているから、ぜひ私に見せたいと、前々から言ってくれていた。 私以外は誰もファンではないのに、DVD上映会に付き合ってくれた。 私は同僚たちと喋りつつ、ときどき会話の輪から抜けて、テレビ画面に広がるhideの世界に一人で浸った。 特に、FLAMEのとき。この曲がいつもよりやけに心に染みて、ちょっとうるうるした。
亡くなった人の映像を観るのは、不思議な気分だ。時間の間隔をうまく掴めなくなる。 まだどこかにいそうな気がするけれど、少なくとも肉体はもうどこにもいない、ということをはっきり分かっている。近いのに、遠い。遠いのに、近くに感じてしまう。そして、例えば12年前の映像だとしても、ほんの2,3年前の姿のように感じたり、逆に20年くらい前のように感じたりもする。 過去から現在へ至る時間軸が、やはりどこかで断ち切られてしまっているのだ。それは、本来なら「私たちの中でhideだけが」と言うべき現実なのだけど、私は「自分だけが」と錯覚してしまう。hideや同僚たちは正しい時間軸にいて、自分だけがその軸の外に置き去りにされているような感覚。だから、私とhideのどちらが本当は止まったままなのか、ときどき分からなくなる。 18歳になる手前の17歳だった私は、29歳になった。日々、hideの年齢に近づいている。人生は何があるか分からないから、「いずれhideの年齢を追い越す」とは断言できないけれど、追い越さんとして着実に近づいていっている。 いつか33歳になって、そして34歳になっても、hideの映像を見たとき、私はやっぱり自分だけが置き去りにされて止まっていると感じるのだろうか。
このDVDは、結局私がもらうことになった。 元々は私の誕生日会という名目ではなく、皆の予定が合って集まることができたのが、偶然19日だった。 でも、ピザは男性陣のおごりだったし、同僚女性はケーキを買って来てくれた。そして何より、hideのライブDVDという誕生日プレゼント。 20代最後の誕生日にふさわしい、素敵な夜だった。
6月末、仲の良かった同期の女性が退職した。 送別会を開いたりプレゼントを考えたりで、月末は結構慌ただしかった。 いなくなってしまうのは、もちろん寂しい。でも、それ以上に、羨ましい。 会社を辞めたあとの道が確保できているわけでも、保障されているわけでもないけれど、彼女は心底うれしそうに職場を去っていった。よほど辞めたかったのだろう。その表情を見たら、羨ましく思わずにはいられなかった。
29歳の誕生日を迎えて以来、心身ともにかなり疲れている。 しんどいという言葉が一番しっくりくる。「だるい」でも「きつい」でもなく、「しんどい」のだ。何だか全てがしんどい。 休みの日は、前にも増してよく眠る。朝10時とか10時半に起きて、昼寝もする。それでも、夜なかなか寝付けないということはない。 厄年……ではないよなあ。
しんどいので、何も考えずにただバカみたいに笑っていられる本か、ひたすら顔がにやけて癒される本ばかり買っている。 中村光の漫画「聖☆おにいさん」、mixiの「変な寝言が忘れられない」コミュから生まれた本、子猫の写真と俳句がコラボした本。そういうのばかり読んでいる。 あとは、できれば1日中まどろんでいたい。
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