月に舞う桜

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2007年07月10日(火) 雨音によみがえる

雨の音を聞きながら眠るのが嫌いだ。特に、しとしと降る雨の音は。世界から取り残されて、たった一人でこの部屋に閉じ込められているような気分になる。たとえ部屋を出たとしても、歩いても歩いてもやっぱり閉じ込められていることにかわりがないような。

雨音を聞きながら、どうして昔のことを思い出したのだろう。ふと、もう13,4年も前の誕生日の出来事がよみがえった。

叔父が結婚していた人、つまり私にとっての義理の叔母はとても若く、私とは一回りほどしか違わなかった。年齢の近さによる話し易さから、私は義叔母を「おばちゃん」ではなく「おねえちゃん」と呼んでなついていた。
叔父夫婦には子供がいなかったこともあってか、二人は私をかわいがってくれ、よく面倒も見てくれた。私の誕生日には、毎年プレゼントを持って二人で我が家へやって来た。私が小学校高学年になると、義叔母が手書きのバースデーカードを添えてくれたこともあった。

二人は、私が中学1年か2年のときに離婚した。
離婚直後、私はまた誕生日を迎えた。もう二人で遊びに来ることはないと分かっていたし、プレゼントも期待していなかった。
その日、私が母と外から帰ると、玄関の前にかご入りのアレンジメントフラワーが置かれていた。明らかに私への誕生日プレゼントなのだけれど、どこの誰からなのか私には分からなかった。
すると、母が「○○おねえちゃんじゃない?」と、義叔母の名前を出したのだ。花かごにはメッセージカードも入っていなかったので、どうして母がすぐに義叔母だと分かったのか定かでない。もしかすると、母は義叔母……もう私の義理の叔母でなくなってしまった彼女がプレゼントを持って来ることを、知っていたのだろうか。
母が彼女の実家の電話番号を知っていたので、私は電話をかけたのだが、電話に出た親御さんから彼女の不在を告げられた。それで私は、「私がいない間に誕生日プレゼントのお花を持って来てくれたようなので、戻られたらお礼を伝えて下さい」という意味のことをぼそぼそと言った。相手はよそよそしかったし、私も何だか気まずくて早々に電話を切ってしまった。
親御さんにしてみれば、娘が離婚した相手の血筋の姪っ子など、快く思わないだろう。私は、自分がそういう立場の人間であることを中途半端に分かっていた。離婚という大人の事情を意に介さず無邪気にプレゼントを喜べるほど子供ではなく、かと言って、「それはそれ、これはこれ」と割り切った対応ができるほどには大人でなかった。

それ以後、彼女とは会ってもいなければ話してもいない。お礼の気持ちが彼女に伝わっているかどうかも分からない。
私はそれを、心のどこかでずっと後悔している。あのとき、もう少し大人だったなら、お礼の手紙を送るくらいはできただろうに。母がかもし出す「もうあまり関わりたくない」という空気を押しやって、叔父の家系の人間としてではなく一個人の桜井弓月として対応ができただろうに。
あの誕生日プレゼントの花かごは、とても嬉しかった。でも、嬉しい以上に、切なかった。
彼女はどんな気持ちで、玄関前にそっと花かごを置いて行ったのだろうか。それを思うと、私は今でも胸がきゅうっとなる。

ときどき、私は彼女の幸せを静かに祈る。
叔父は再婚して従妹も生まれたけれど、彼らのことよりも、かつて私の義叔母だった女性のことを想ってしまう。
叔父の苗字なんて忘れて、どこかで素敵な男性と幸せに暮らしていますように。

こんなことを思い出したのは、雨音が寂しいからだ。


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