月に舞う桜
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そんな子は要らない。 触らないで。 勝手にしなさい。
小さな子供に向かって浴びせられる言葉、心底苛立った声。 子供に言い聞かせたり注意したり、あるいは子供を促すために「ママ、先に行っちゃうよ」と言うときの声とは明らかに違う。 私は、そういう声を聞くと、振り向いて母親の顔を引っぱたきたくなる。奥歯を噛み締めて、衝動を抑えることに全神経を注ぐ。 「触らないで」と言われても、泣きじゃくって母親にまとわりつく小さな子供。 その親子が乗ってこないようにと祈りながら、私は急いでエレベーターの「閉」を押した。
触らないで。
帰り道、あの嫌な声が頭の中にこびりついて、独りで歩きながら泣きそうになった。 同じような言葉を吐くとき、どいつもこいつも同じ声を出す。 だめなんだ。あの声を聞くと、破壊したくてたまらなくなる。 でも、大丈夫。きっと、週末だから疲れているだけさ。
私が代わりに泣いてあげるから、どうか君は泣かないで。 嫌なことは早く忘れて、眠ってしまおう。夢の中では、ママはきっとやさしい顔と声に戻っていて、うさぎさんやくまさんも笑って君を迎えてくれる。 だから、どうか泣かないで。
子育ては大変だとか、ストレスで当たってしまうこともあるのも仕方ないとか、悪いけど、私はそんなことは考えない。 だって、大人の誰も彼もがそんなことを言ったら、言葉を投げつけられた子供のことはいったい誰が考えてあげられるの。
回復するって、難しいんだなぁ。
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