月に舞う桜
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2006年01月07日(土) |
★「書くこと」とその周辺★その4.一期一会 |
『愛を紡ぐ手』に手を入れているとき感じたこと。 一期一会という言葉があるけれども、それは人に対してだけではなく、自らが紡ぎ出す言葉にも当てはまる。 『愛を紡ぐ手』の元の形を書いたのは3年半近く前のことだ。この3年半の間に、文章力や構成力や表現力という技術的な面において、私はいくらか成長したかもしれない(あるいは、残念なことに成長していないかもしれないが)。 けれども、修正前の原稿を読み返すと、今の私からは到底出てこないような言葉、感性、表現が3年半前の私から溢れていることも、また事実だった。 それは、成長とか後退ということではなくて、ものを書くということについてのもっと本質的な部分なのだと思う。 全体として見ればどんなに稚拙であったとしても、そのときでなければ生まれ得ない言葉、「そのときの私」にしか書けないような表現というものが、絶対にあるのだ。それは、技術では補えない。過去に自分が書いたものを読んで、我ながら「確かに下手だけど、すごいな。よく、こんなものが書けたな」と思うことがある。たぶん、逃してはならない「一瞬」に出会うことができたから、書けたのだ。 まさにその一瞬でなければ出会うことのできなかった言葉たち。「書く」という行為は、連続体のようでいて、実は一瞬一瞬の勝負だ。過去でも未来でもなくて、「いま」しかない。そこを通過してしまうと、もう二度と戻ってくることはない。そのとき生まれ得たはずの言葉たちは、永久に失われてしまう。 私は浅はかにも、「成長」さえすればより素晴らしいものを書けると思っていたのだけれど、一番重要なことは、その一瞬をいかにきちんと捉まえるか、ということなのだ。 明日書けることを今日書けるとは限らない。でも、今日書けることも、明日になって書けるとは限らない。そして、後者の方が、もの書きにとってはより重大な真実であると思う。
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