月に舞う桜

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2005年10月14日(金) 話せたらいいなとは思うけど、そんな使うことなんてないし

※昨日の分も更新しました。


2年後にも、小学校で英語が必修になるそうだ。

私は、小学校で英語を教えることに、ものすごく反対というわけではない。
早い時期から楽しく英語に接することができれば、私たちとは違った感じで英語を吸収できるかもしれないし、今までとは別の英語教育が確立される契機になるかもしれない。

ただ。
小さい頃から英語を教えるのも結構だけど、その前にやることが他にたくさんあるんじゃない?
と私は思う。

言語というのはコミュニケーションの手段なわけよ。
で、コミュニケーションというのは国語力がないとできないの。
(もちろん、国語力だけあってもダメだけど)
学生時代に英語を勉強していて痛感したけど、英語だって国語力がかなり物を言う。
相手が意図していることを理解して、自分の言いたいことを相手に伝わるように表現する。日本語だろうと英語だろうと、つまりはこれができればいいんだろうけど、この力を身につけるにはかなり訓練が必要だと思う。
日本語を使ってさえ、その訓練をしていないのが今の学校の現状なのに、それを飛ばして外国語を教えるのか?と思うわけ。
日本で生まれ育ったら、英語圏の人より日本人と接することの方が多い、なんて当然のこと。
ならば、まずは身近な友達や親や先生とコミュニケーションが取れるように国語力を養うのが筋ではないんだろうか。
それをせずに言語としての英語をただ教えても意味がないし、また表面的な改革だけで終わっちゃうと思うけど。
英語を必修にするのはいいけど、小さい頃からもっと自分の意見を言ったり他人の考えを聴く機会を作ることも忘れないでほしい。
小学校の頃から、ディベートとか模擬裁判とか模擬選挙演説とか討論会とか、やればいいのに。

と言うか、ぶっちゃけた話、今の英語のレベルってそんなに問題か?
確かに国際的に見て日本人の英語能力は高くないのかもしれないけど、ほとんどの日本人は学校を出たら英語とは関わりなく生きていくような気がする。
旅行や仕事で必要に迫られたら、そこからいくらだって勉強できるんだし。
まあ、話せないよりは話せた方がいいかもしれないけど、英語くらいできなくたってまったく問題ないでしょ。

英語ができないことよりもっと根本的な問題があるのに、それに気づかないのか気づいてるけど見ないふりをしている人たちが教育を決めているって、それが一番イタイと思うんだな。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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