月に舞う桜

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2005年10月13日(木) 真理子イズム

何気なくテレビのチャンネルを「徹子の部屋」に変えたら、林真理子さんが出ていた。
彼女の小説を読んだことはないけれど、作家の話というのは興味深く聴けることが多いので、番組を見てみた。

林さんの1か月のスケジュール表には、びっしりと予定が書き込んである。
前は週刊誌の連載を4本も抱えていたそうで、その原稿の締め切りのほかに、打ち合わせや取材や趣味のオペラ鑑賞などで毎日毎日忙しそう。
さすが売れっ子作家、これくらいパワフルでないと務まらないのね!と感心してしまう。
でも、土日の欄はすべて空白。
だんなさんが亭主関白だそうで、休日に林さんが仕事の予定を入れると怒るらしい。平日の夜に彼女が外出することも、いい顔はしないそうだ。
私はそういう男性とは絶対に結婚できないし、したくないなぁと思う一方で、家庭に縛られることで却って作家としての仕事にメリハリがつくのかもしれないとも思った。

印象に残ったのは、「子供ができて自分も一緒に成長した、なんてことは言いたくない」という言葉。
確かに、子供を育てる中で自分が何か変わった部分はあるかもしれないけれど、成長という言葉とはニュアンスが違うから、とのこと。
あ、なんかいいなぁと思った。
私は天邪鬼だから、使い古されて手垢にまみれた「耳障りのいい表現」を聞くとちょっと引いてしまうところがある。
「自分の方が子どもに育てられた」なんて、確かに本心からそう感じている人もいるのだろうけれど、ほんとに?と疑ってしまうこともあるのだ。
実は「子どもに育てられたと言っている私って、いい人でしょ?こんなこと言うなんて、成長したでしょ?」とアピールしたいんじゃないの?と勘ぐってしまう。

「成長」なんて分かりやすい言葉を使うのは簡単なこと。
でも、自分が感じているのは「成長」とは違う。
だから、その言葉は使わない。
そこに、言葉に対する彼女の真摯な対面が感じられた。
「小説を読んだことはないけれど、この人はたぶん、ちゃんとした作家なんだな」と思った。
林真理子は作家なのだ。

でも、正直なことを言うと、それ以上に感じたのは「こいつ、私と同じで天邪鬼だな」ってこと。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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