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2006年09月22日(金) 自分の常識・他人の非常識?

今日、チビマメのポリオ(2回目)に行ってきた。

松山は集団接種じゃないので掛かりつけの小児科で受けた。
同じようにポリオの接種に来てる人たちがいっぱい。
お父さんとお母さんが一緒の子供たちもいる。

そこでびっくりしたのがそのお父さんたち。
ポリオに来てる子供たちは1歳前後の子たちが多い。
接種が終わったら30分はそこで待ってないといけない。そのお父さんたちは、赤ちゃんを抱っこして立っているお母さんたちがいるのに知らん顔して座っている。

自分にも同じくらいの子供がいるのに気づかんのかな?
お父さんが気づかんでもお母さんは何か思わんのかな?

私なら予防接種なんか病気ちゃうねんからいちいちついてこんでいいって言う。もし一緒に行っても病院の中がそんな状態なら外か車の中で待っててって言う。

そしてお父さんたちはぐちゃぐちゃになった座布団を直すこともなく帰っていった。奥さんも…

旦那に言ってもそんなことで怒っても仕方がない、世の中にはいろんな人がおるんやから…って言う。
そんな風に考えられるほど私は人間が出来ていない。

で…イライラして帰って来てネットをつなげたら…
子猫殺しの作家の言い訳の記事が目に入った。

《以下引用》
◇坂東眞砂子さん寄稿…子猫を殺す時、自分も殺している(毎日新聞)
省略
子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。

 「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。

 しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。

もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。

他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。
 エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。
《引用終わり》

『他人から不妊手術をされたらどうだろう』って考えられるのに『生まれたばかりの自分の子供を他人の手で殺されたらどうだろう』とか『自分自身が他人の手で殺されたらどうだろう』って考えることは出来んのかな?

断種なんて言葉を使っているけど、日本のハンセン病の方の赤ちゃんは妊娠中絶ではなく【出産後】に療養所職員らに殺されて標本にされた可能性が高いらしい。

この人の記事を読んでいるとハンセン病の方が他人に不妊手術をさせられたかのような印象を受ける。自分の記事を読んでいる人はそんなことも知らない馬鹿やからばれないって思って書いたんやろうか?

自分さえ良ければ他人はどうでもいいって思ってる人、間違った感情で飼い猫が産んだ子猫を殺す人、ほっとけば死ぬやろうと思って自分が産んだ赤ちゃんをほったらかしにする人…

マメたちが生きていく社会はどうなるんやろう?








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