皐月雑文

2003年05月31日(土)

もう六月になってしまう。皐月は新緑の匂いを運ぶ風であり瞬きの間に風下へと流れ去ってしまう。六月。June。仕方ない、結婚でもしましょうか。

このままではせっかくの土曜というのにアルバイト以外で外出をしないことになってしまうと危惧し、傘さしてふらりとコンビニへ。「Relax」でも立ち読みしてリラックスしようかと思ったら、蔵書がない。仕方ないので「東京人」を立ち読みして帰る。「Relax」、あの紙質とか好きなのになあ。(観点が違うと思ふ)

先日、所属ボーカルグループで話をしたときに、ふと作詞の話になる。
「どのように詞を書けばいいかわからぬ」
とある一人が言うので、
「好きなように書けばよいのだ」
と告げたが首をひねる。そこで私は
「既存の詞に無理矢理曲をつけた例だっていくらでもある。草野心平『作品第弐拾壱』や北原白秋『梅雨の晴れ間』などそうじゃないか」
と言ってみたが、それでも反論が来た。
「それはしかし合唱曲じゃないのかね」
「されば『君が代』だってさうじゃないか。短歌に曲をつけただけだから。そういう意味では自由詩や散文詩だって十分だ。そら、尾崎放哉のあの詞」
「あの詞?」
「『咳をしてもひとり』」

そんなわけで「咳をしてもひとり」に好きな曲をつけてそれを募集というのを二万ヒット記念企画にしようと思ったのだが、しかしそれは文章サイトのする企画ではないなと思い直し、さればチャルメラの曲に好きな歌詞をつけてみようという逆の企画を思うもこれは難しい。好きな曲をつける、から比べるとどうしても魅力に欠けてしまうなと気付き、ここに私は文学というものの難しさを痛感するのであった。今日はなんだか文体がおかしい。


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