2006年05月09日(火):ペ・ヨンジュンは自分でhtmlを書く
英語教育の必要性が甚だ疑問。
必要性、これは物事を進める上で非常に大事。

5月4日のログを見ていただければお分かりのように、朕もなんとなくなら英語は読める、

でも話せない。

これは朕に限らず多くの日本人に共通すると思われる。

話したくないと言う心情的なものもあるが、必要が無かったと言う事情が大きい。
でも読めちゃうのは、日本では今のところ受験などの為に必要とされてしまってるから。

でもそれは、現状なんとなく試験に用いられてる故の必要性であって、
英語そのものの必要性では無い。
やれ国際化だから、なんつってるけど、それはやりたい奴がやれば良い、と思うのね。


勘違いして欲しくないのは、外国語教育自体を否定してるんじゃないのよ。
米国は嫌いだけど、それも今回は理由では無い。

ただ、国民ほぼ全員に教育を施す必要が今の英語にあるのか、と言う話。
言い換えれば、何かしら外国語を学ばせるにしてもその優先順位的には後でないの、と。


今必要なのはね、朝鮮民族の言語よ。

え?仲良くせなあかんからかって?
それぁ違うよ。米国とはまだそれなりに仲良くやれてる、だからいらない。国と国が仲良くしてる時は、一部の人間だけが相手国の言葉を解せれば良い。

逆で、緊張関係にある時のが相手国の言語を学ぶ必要性がある。
そりゃだって、戦時中の方が一般大衆まで他国言語を必要とすることが多くなるでしょ。
仮に誰も朝鮮語を理解出来なかったら、暗号もクソも無く目の前で機密情報をやりとりされても意味分かんないのよ。


平和な時に於いても業務上の必要性のあるものが学習することに異論は無い、その点は国際化時代を否定しない。

でも国民一律に第二言語教育を行うのは、通常国民全体でそれを必要とする特殊な場合に限る。
どっかの従属国か、
国内言語を統一出来てないから不本意でも何かしら公用語を決めないといけない場合か、だけ。

朝鮮語を〜っていうのも、英語に較べたらまだ必要性が高いてだけでね。
本来的には言語学習は業務上必要がある場合のみ、もしくは将来その職業に付きたいもののことを鑑み、高校くらいからの選択性で良いと思う。
現在段階ならばね。

でももっと先の将来はテクノロジーの進歩で「ほんやくこんにゃく」みたいなのが出来る筈、そうなったら外国語学力て言うんは何の役にも立たないわけだ。
今通訳とかの仕事してる人はそういった技術の発達が極力ゆっくりと進むことを望み、
これから子供が幼稚園の時から英語を学ばせようとするような教育ママや、
英語が嫌いで仕方ない中学生なんかは、
テクノロジーの発達に気を配り、学習の続行を取捨選択しなければダメよ。
センター試験の朝、新聞に「ほんやくこんにゃく実用化、これまでの外国語学習は根底から必要が無くなる」なんて記事が出た日には目も当てらんない。



…と言う主張を高校時代からしてきたけども、
excite翻訳が出てきた時は時代の進化を感じたもんだよ。


今日のハンバーガー:ビッグマック+ガーデンサラダごまドレ+爽健美茶

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