最近、ちょっと調子が良い。善と悪のスイッチを切り替えたことがよかったと思う。自分は生まれつき善人だ。それが悪いことばかりやっていたのでは持たない。思考も言葉も行動も全部善に切り替えることで楽になった。いったん良い方向に行くと好循環が生まれ、いろんなことがうまくいくようになった。
「さよなら渓谷」を観てきた。なかなかヘビーだった。吉田修一は観るものを常に裏切る。許すとは何か考えさせられた。生易しい行為ではなく、一度限りの行為ではなく、果てしなく続く行為かもしれない。ゆるしを乞うということも逆にそうかもしれない。今自分は許すことはできない。無理に今そうする必要はないと思っている。やがて許すことができるときが来れば許せばいいと思う。それは私が決めることだ。「さよなら渓谷」の中でもヒロインがそう言っていた。許すか許さないかは自分が決めることだ。それは被害者だけに許された権利だ。加害者が決めることでは決してない。そこだけは譲れない。そのことだけは思い知らさずにはいられない。
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