希望の日記

2010年09月15日(水) 晴れ

ひととはなしているとき、顔が引きつるときがある。父が死んでから何かがついているみたいだ。何を見ても聞いても泣きそうになった。それが人と話しているときもよみがえってくる。そうならない方法を発見した。ほんとのことを言わないことだ。自分を傷つける、自分をかわいそうな目にあわせることを言わないことだ。愚痴、不平、不満は、自虐であって、自分を痛い目に合わせることだ。ひどい目にあった経験を話して、それをもう一度経験することだ。それは人を困惑させ、不快にする。それを話す私の顔を引きつる。そうならないのは、嘘をしゃべっているとき、自分の利害と関係ないことをしゃべっているとき、楽な軽薄なことをしゃべっているときだ。利害関係のない他愛のない会話の場合は、喧嘩にもならず、和やかに進む場合が多い。
今日差別発言を受けた。こんなことを我慢しないといけないのか。組合に言おうかと思っていたが、複数現れるとは、どうしていいかわからない。縁を切ることが自分にできる唯一のことだ。あのばばあも、何のかかわりも持たないが、何の不便も感じない。許すかどうか自由だし、どういう態度を取るかも自由だ。本当に馬鹿が多い。あのばばあには人生を台無しにされた。今、こうして苦しんでいるのも、全部あの婆のせいだ。それでも何も手出しはできない。殺したいほどなのに、自由に振舞っているのを指をくわえて見ているしかない。でも相手にしない自由はある。心のそこから馬鹿にするのも全く自由だし、人間と思わないことも自由だ。あの当時と何も変わっていないじゃないか。
wさんのことは諦めがついた。付き合うことが目標だからおかしなことになる。挨拶が目標、会話が目標であればなんら問題ないじゃないか。よき同僚になることが目標だったら、何の問題もない。


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