戦いに終始して、人間らしさをうしなっている。悲しむべきことだ。あんな通り魔のせいで、ドーパミンがでまくって、創造的なことが全くできなかった。この件は早々に収束して、創造的なことをしたい。自伝風エッセーを書きたい。このことは収束したい。義理立てとか何か、許すとか許さないとか考える意味すらないことに気づいた。それは相手を認めてこだわっていることになるからだ。人間関係を求めていることになるからだ。そんなやつじゃないということをはっきりさせておきたい。今後のためにも。 ゆっくりしようと思う。ドーパミン全快で戦いあい、憎みあうなんてうんざりだ。何であんなのに、引っかからないといけなかったんだ。あのきちがい教師といい、反抗的というのか。何か違う気がする。通り魔だ。卑劣な強姦魔だ。 無駄な戦いに終始してきた。何で絡まれないといけないんだ。きちがいに。絶対許すわけにはいかない。何か気持ちが落ち着いてきた。世の中には相手にしてはいけない人間がいるんだ。すごく残酷な気持ちになることが時には必要だ。優しい気持ちで全ての人が理解できるのではない。私がきちがいに引っかかってしまったのは優しい気持ちからだ。全ての人間を理解しないといけない、相手にしないといけないという不可能な、ある意味中途半端な考えに付け込まれたのだ。これからは違う。嫌な人間ははねつける。受け入れない。誰にでも良い顔をしない。これで人間関係は整理できる。飛躍的に改善する。 すごく落ち着いてきた。かわいそうだが、理解しないことだ。理解できない人間がこの世にはいる。そういう人間を相手にしないことだ。絶対に。冷たいようだが、自分が大被害を受けないために絶対前提条件だ。 恐怖心から人が嫌いになった。母親が嫌いになった。教師が嫌いになった。女が嫌いになった。誰とでも仲良くならなくていい。嫌いになると攻撃してきた。その攻撃に反撃するために更に反撃した。教師との戦いは決して権力闘争ではない。愛されたいという気持ちを踏みにじったことによる攻撃とそれに対する反撃だ。でも嫌だったら嫌でいいんじゃないのか。何で攻撃されないといけないんだ。それがどうしてもわからない。好かれないから攻撃するってどんだけ傲慢なんだ。そんなことは許されない。絶対許されない。怒ることは許される。自分に危害を加える人間を怒ることは許される。怒りは病気を悪化させるという。そういえばここ二ヶ月くらい調子が悪い。休んでばかりいる。 自分を許すということはすばらしいことだ。ついでに人や人類を許すということも可能かもしれない。 今日あいつを心の中で許してみた。楽になった気がした。優位に立てる、関係を断ち切れる、怒りや憎しみというくびきから解放される。いいこと尽くめだ。 アンリと遊んできた。やっぱりかわいい。新しいマンションに移るそうだ。引っ越したら遊びに行く約束をした。本当にいい子だ。こんな私でも馬鹿にしないで付き合ってくれる。ホームレスになったら、転がり込んでもいいそうだ。 悪いことをしている気もするが、これくらいしないと生きているのか死んでいるのかわからない。会社では虐待されているし。罪の意識はあるが、仕方がない。男が一人で生きていくには仕方ないのだ。
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